プロフィール

 

(運営者情報では書ききれない詳細版です)

私の経歴を記憶の糸を手繰り、写真を見て思い出しながら書き出してみました。

 

(行動力を活かして経験値を高めた学生時代)
1972年母の実家のある静岡県島田市に生まれ、滋賀県大津市で育つ。

 

日本の宗教のふるさと比叡山延暦寺が身近にあり、幼稚園、中学、高校と延暦寺学園で過ごし、校訓である一隅を照らす、己を忘れて他を利す、能く行い能く言うの精神を学ぶ。

 


比叡山延暦寺 根本中堂

 

旅のきっかけは大学時代ミーハーなキャンパスライフに微塵も関心がなかったので、工場で夜勤のバイトをして金を貯めて、世界を見てやろうということから全ては始まる。

12時間の夜勤をして昼間は学校にいるという生活で小金を貯めて、たまたまテレビで「ゴッドファーザー」の映画を観たことから、イタリアのシチリア島に行かなければならないと発作的に勘違いする

関西学院大学

そして、アエロフロートに乗ってまだ分裂する前のソビエト連邦のモスクワで乗り換えてローマに向かう。
モスクワでジャーナリストの鳥越俊太郎を見かけたが、やはりコートの襟は立てていたので間違いない。

そんなこんなで、テント持参のイタリアに2ヶ月いた時にイタリア人や安宿に集う世界各国の若者と出会い、なんとかなることや人生の楽しさを学んだことが旅に目覚めるきっかけで以後のめり込む。


イタリア サンレモ


イタリア シシリア島 トラパニ


イタリア ローマ  スペイン広場

 

以後、冒険家の植村直己氏に憧れ、何でも見てみよう、やってみようと、夜勤のアルバイトをしつつ厳冬期の北アルプスやアフリカのサハラ砂漠や北アフリカ最高峰を踏破。その他アジア、中東、ヨーロッパなど約30カ国を訪問した。

 

その他、自転車で東京から伊豆下田まで走ったり、青森から滋賀まで走ったり全部野宿。平和な時代でした。

 


北アルプス


サハラ砂漠 モロッコ


ペトラ遺跡 ヨルダン

 

あとどこが楽しかった?と言われるので敢えていうと、タイということになる。
当時は、タイに半月しかビザの関係で居られないので、半月ごとにマレーシアとシンガポールに遊びに出て戻る生活をする。
タイでは、プーケットの近所でピピ島という津波で飲み込まれた島がホームグラウンドであった。そこでスキューバーダイビングに目覚めタンク200本は潜る。

そして、敢えて嫌な国はアフリカのモロッコで、中国人と各地で罵られて石を投げられる。アフリカでは昔アジア人は召使いということで、フランス人に使われていたみたいで、その風潮があるみたいだ。

 

人に夢や希望を与える仕事を目指して番組制作の世界へ
大学ではマスコミ・コミュニケーション論を専攻。
湾岸戦争時にイラクにて、CNNのピーターアーネット記者が他の主要メディアが帰国する中、単独で世界に向けて中継をしたことに影響を受け、自身もテレビの世界で人に夢や希望を伝えられるようになりたいと、在学中から読売テレビでアルバイトをし、大学卒業後は番組制作会社勤務。日本全国を撮影し、バブル崩壊、阪神淡路大震災などの時代に大きな変化を与えた事件を間近に取材した。

 

今は運転しないみたいだけれど、当時はハンドルさばいてなんぼの世界でタクシーより道を知り尽くしていたのが自慢。

また、時には自分が運転していない時だけれど高速でロケ車が事故したけど生還。運転しながら居眠りしていた運転手を助手席から起こしたこと枚挙にいとまなし。

イチローや吉永さゆり、ドリカムなども会ったのが自慢。

また、当時アドレナリンが簡単に出るということで冬山に通い続けていた。厳冬期の槍ヶ岳では、テントや食料をベースキャンプに残したまま、頂上を無理して狙ったけれど、雪と風のブリザードの中、行く方向を見失い遭難したけど、雪洞掘ってビバークして生還。

また、ロケの合間にピピ島に久々行こうとしたけれど、インド洋大津波では行っていればちょうど死んでるタイミングで警察24時の仕事が入り回避。などダイハードな人生とも言える。

 

潮岬 和歌山

(主な関与番組)
日本テレビ系列:スーパーテレビ情報最前線、ザ・ワイド
読売テレビ:なるとも、元気もんTV、トラトラタイガース
テレビ朝日系列:スーパーJチャンネル
朝日放送:おはよう朝日、同局探偵ナイトスクープ
関西テレビ:お笑いワイドショーマルコポロリ、オカヤスイーツ博士
その他:競馬の福永洋一氏、ボクシングの辰吉丈一郎氏のドキュメンタリー取材など、スポーツ関係も多く関わる。


(仕事の意義を見失い、新たな出会いで自分の使命を知る)
数多く番組制作に関与し、学びを得る一方、長時間労働と連続した勤務で、仕事をこなしているだけの自分に気づき、新たな方向性はないものかと30歳過ぎに行き詰まってしまう。
そんな方向性を見失っている時に、かつてヤクザの組長の妻であり、その後弁護士となった「だから、あなたも生き抜いて」の著者 大平光代氏と取材で出会う。
大平氏のヤクザの妻から弁護士になった生き様に衝撃を受け、法律について関心を抱く。そして、弁護士や司法書士たちが闇金で多重債務に苦しむ人々の問題解決に取り組み、勇気を与えている姿を間近で見て、法律家という職業に感銘を受ける。

また、山一證券の経営破綻の取材でインタビューをした社員の「明日からもう仕事がないのですねぇ」という言葉を聞き、会社に頼らず、より主体的に生きること方法を模索し始める。

そんな時2000年にオータムインニューヨークという映画を見て、自分探しに、行ったことがないニューヨークもいいなぁと思い、2001年の秋にニューヨークに行った。

ちょうど9.11の直後だった。

ワールドトレードセンターの焼け焦げた匂いのする地区から、すぐ近くのマンハッタンの最南端の公園。そこには美しいまさにオータムインニューヨークであった。

 

この後、イスラムってなんだろう?と中東に飛び、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンを周り、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大宗教の聖地で互いに人々が主張し合い、居住区や心に壁を作って対立している構図を目撃する。

 

 

帰国後、日本でもバブル崩壊後の不景気な話ばかりで、社会全体が壁に覆われているような感覚があった。

そこで、まず、我が祖国日本で何かできないかを考えた時に、社会保険労務士が思い浮かんだ。

日本の社会を支える企業の8割が中小企業であり、その中小企業を助け、不況に苦しむ日本経済が復活することに貢献できると一方的に思い込んでしまう。

 

(資格取得から開業へ)
その後、国家資格である社会保険労務士の資格を取ろうと勉強を開始するが、動き回るマスコミの仕事から一転、座る練習から勉強を始め、5年をかけてようやく2008年に社会保険労務士に合格した。

 

リーマンショック後に社労士事務所を開業したが、不況の真っ只中。コネもお金も無い中で労働基準監督署、雇用均等室など行政の仕事で経験を積み、自分のできることを徐々に増やす。
また、社労士会、異業種交流会、各種勉強会に参加し、持ち前のチャレンジ精神と行動力を発揮することで、開業以来9年で約500社に関与し、約1万件の相談に対応してきた。

 

(法律だけでは超えられない壁をコーチングスキルで超える)
日本経済が不景気に喘ぐ中、企業からの相談で目の当たりにしたのは、疲弊した人間関係に明日が見えず、業績や売り上げが上がらないという姿。時代がめまぐるしい速度で変化し続ける中、対応に追われることに精一杯な中小企業の実態は、余裕の無い中での仕事でストレスが溜まり、人間関係を悪化させ、業績も振るわないという悪循環だった。

日本の中小企業に勇気を与え、中小企業を発展させるという使命を全うできるか不安を感じながら人間関係の改善、相互支援から生産性向上に導く方法がわからず、ひたすら法律的な知識を追いかけていた私は満たされない気持ちで悶々とした日々を過ごしていた。

途中、母が60歳という若さで亡くなり、また父も癌を患い、介護も虚しく無くし、最終的には自身も平成28年の2月から5月まで入院という、まさにどん底を経験した。

 

そして人間の忘れるという性質のおかげで、次第に気力も出て、再び立ち上がるようになる。

そこで、身近に感じた死というものから、残りの人生をいかに自分の使命を全うするか、そのヒントが無いものかと、人に聞き歩き、本を調べた結果、ストレングスファインダーというコーチングに出会う。

 

人の苦手な部分に目をやるのではなく、強みにフォーカスし、弱い部分は相互に補えばいいというコーチング手法に共感。まさに、国内や海外で見た悲しい光景を改善できるものだと確信を持った。

 

思ったら即実行。

是非、活用したいと、東京でトレーニングを受け、試験に合格し、人2017年5月にストレングスコーチとなる。

 

(企業理念・取り組み)
現在はストレングスファインダーのコーチング手法を取り入れた新しい視点を持つ社労士として「人と人とが信頼し合える社会の実現」を経営理念として、中小企業の労務管理、規則の制定等の社会保険労務士の業務だけでなく、コーチングスキルと番組制作時代に培った行動力・人間力で中小企業の人間関係の相互理解と強みを活かしたチーム作りに力を入れている。
また、世界を旅し、一流の人たちと仕事を共に成し遂げた経験を活かし、アクティブな社長だからこそ抱える「社員が社長の方針についてこられない」という問題を解決し、相互支援の組織を構築、自立型人材の育成に力を入れている。

 

最後に

 

9.11のニューヨークにいたことは、自分の縁であり、運命と考えています。

 

人の弱みにフォーカスし、違いは悪だと決めつけたのが上の写真です。

 

そこで、皆さん想像して下さい。もし、人が人種も越えて互いの持つ強みをリスペクトし、無い部分は補うことができる社会を作ることができたらどうでしょう?

どちらが素晴らしい世の中を作ることができるでしょう?

答えは明快だと思います。

まずは、自分の強みに気づくこと。

これが、第一歩だと考えます。