選択肢の多い社会は果たして幸せなのだろうか?

 

幸せになりたい!」そう思って、どの人も生活していることだと思う。

 

もちろん中には、心の病など、そのように思えない人も中にはいるだろうが、それは例外として、より良い明日をみて過ごしているわけだ。

 

しかし、なぜ幸せになることが難しいのだろうといろいろ考えていたのですけど、一つには、選択肢が膨大にありすぎるから違和感を感じるということもあるのではないかと思うのです。

 

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選択肢は多ければ多いほどいいのではない。そう考えているあなたは間違っていいるよ。そう証明したのがコロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授。

 

https://www.amazon.co.jp/選択の科学-シーナ・アイエンガー/dp/4163733507

https://www.ted.com/talks/sheena_iyengar_choosing_what_to_choose?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

 

 

実は人間はあまりに選択肢が多いと逆に「選択」ができなくなるのです。

24種類のジャムの売り場と、6種類のジャムの売り場では、前者は後者の10分の1の売り上げしかあがりませんでした。そのことを実験によって証明しました。

 

 

その考えをわたしたちの社会に当てはめると、

この多様すぎる社会は選択肢の多さゆえ逆に「選択」ができなくなっている状態。

 

 

自分の生き方の選択に悩み、日々の買い物に悩み、仕事の複雑さに悩みをしているわけだ。

 

 

そして、選んだものについても絶えず満足するなど不可能に近い。

 

しかし、一方で、それでもうまくやる人は中にはいて、毎日いきいきとしている存在はどうなのだろう?

 

 

選択肢の多さに混乱する人が多いという中で、どうしてうまくやっていけるのだろう?

 

その点を見たり、話したりしていると、どうやらうまくやる人は、あらかじめ決めていることが多い。ということが分かってきました。

 

上記教授の話では一般的に、ビジネスにおける経営者の決断は9分に1回は何らかが行われているらしく、それこそ迷っていられない。

 

したがって、うまく選択できる人は決めているから納得感が高く、したがって良い決断ができた、だから幸せなんだということになるのだ。

 

付け加えると、これが自分の利き手のように、自分の強みや得意とするところを把握した上から決めているとすれば行えば、まさに「先手必勝」。

 

しかし、その場で決める。しかも、自分の強み弱みも適当で、戦略もなく決めていると、まさに「後手後手」なわけだ。

 

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まとめると、選択肢の多い社会で幸せであろうとするならば、自分の強みや得意を把握した上で、あらかじめ決断すべきことは計画的に行うと良いということになる。

 

どうせ、大抵のひとができないところだ。

 

思い切って試してみるのも悪くはないのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もがもつ魔法使いになる素質とは!?

 

成功者から学ぼう!ハリーポッターの著者 J.K.ローリング

 

 

今日は皆さんに「失敗して得るもの」と現実社会の敷居をまたぐ時に必要となる「想像力の重要性」を説明したいと思います。

何故、「失敗してえるもの」が大切か。

それは、不必要なものを排除するのに失敗が付き物だからです。

私と同じ様な規模の失敗ではないと思いますが

しかし、人生において失敗や挫折はつきものなんです。

失敗を恐れて生きる人生など、生きていないも同然です。

失敗を経て得る強さや賢さが未来を生き残る鍵となるのです。

自分自身や他者との絆の強さは逆境に立つことで理解できるんです。

 

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そのような知恵が真の宝でありどんな資格よりも価値あるものです。

人生は困難で複雑である上、誰もコントロールすることはできません。

この謙虚さを理解することで、人生の浮き沈みを生き抜けます。

話のテーマに想像力の重要性を選んだのは、私の人生に大きな役割を果たしたからではありません。

より抽象度の高い、想像力の重要性に気づいたんです。

 

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想像力とは存在しないものを描き、生み出す、人間特有の能力なのです。

そして、想像力があるからこそ他人と分かち合い、共感することができるんです。

他の生物とはちがって人間は想像力だけで事象を学び、体験できるのです。

想像で相手の立場に立つことができます。

この能力は、魔法のように中立です。

人を操りコントロールするためにこの能力を使う人もいれば、同じぐらい、共感や同情に使う人もいます。

しかし、多くは想像力を鍛えてません。

自分の経験してきた範囲内に満足し、他人の立場に立って想像することをしません。

苦痛の叫びに耳を塞ぎ、心の檻から目をそらし、関係のない苦痛からは心を閉ざし、知ることを否定するのです。

そのような生き方を羨ましく思う半面、彼らも私と同じぐらい悪夢を見るかもしれません。

狭い視野で生きると精神的な広場恐怖症に陥りそれが恐怖をもたらします。

よって想像力を使わない人は、より多くの化け物が見え、より怯えています。

さらに重要なのは、共感することを拒否した人は本当の化け物になる事実です。

実際に悪事を行わなくても無関心のうちに悪と共謀してしまうのです。

18歳の時、古典文学の世界を冒険し様々なことを学んだことの一つにギリシャの哲学者プルタルコスが書き出した言葉があります。

「自分の内部で達成した物事は、外部の現実を変えていく」

驚くべき格言であり、私たちの生活の中で何千回と証明されている事実です。

私たちは体外的な繋がりを断つことはできず、この世に存在するだけで人々に影響しているのです。

 

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しかし、問題はどれだけの影響を与えているかです。

ここにいるほとんどの方々は世界で唯一の超大国の国民です。

あなたたちがどのように投票し、生活し、主張し、どう政府に訴えるかで他の世界の人々の運命が変わるんです。

これは特権であり、大いなる責任です。

その地位と影響力を声なき人々の為に使い

強者だけでなく弱者も認識できたなら

あなたのような特権を持たない人々の立場を「想像」できるなら

あなたの家族だけでなく、何千何百万もの人々があなたの価値を称賛します。

世界を変えるのに魔法はいりません。

すでに「想像力」という世界を変える力を持っているんです。

物語と同じく、人生も大事なのは長さではありません。

そのです。

皆様、よき人生を。

ありがとうございました。

 

 

人の前で話すということ

人の声というものは、すごく重要なもので、声ひとつで印象がガラっと変わってしまう。

最近、プレゼンテーションを練習されているところを見学して、そいうや、俺って音録りのプロだったと思い出したので、気づいた事を書いておこうと思う。

長年、いろいろな人の声を録ってきたが、一番最強な声は吉永小百合さん。

声のトーン、間合いが絶妙で、あくまでも自然で噛む事なんて考えられない。

まさに、大女優は声から芝居するのです。

一方、今日もある講演を聞かなければならない事があったが、

普通の人は声のトーンは急上昇急降下のジェットコースター、間合いはバラバラ、言葉を暗記から発するので、刺さらないし咳したり、「えー」、「あのー」など耳障りこの上ない。

内容云々の前に、聞く気をなくさせてるなぁというのが事実です。

正しい日本語を正しく話すというのは、簡単なようで難しいものなのでしょう。

普段、訓練を受けたプロの声をマスメディアを通して聴いているけれど、同じようには話せないものなんですよね。

自分のクセやらなんやらが積み重なって、とんでもないことになってしまっているのでしょう。

人とのコミュニケーションは声を発する事からはじまります。当たり前過ぎて、意識していませんが、大勢の前で話すときの自分。また、少数の前で話すときの自分。その辺を録音したり、客観的に見直すと、対人関係もよくなるかもしれませんね。

で、陽明学って何なん?

陽明学では、人の肉体は天からの借りもので、用があるから魂を宿しているのだよと説いている。

命があるのは、役目があるから役目を果たせと簡単に言えばなる。

なぜ日本で陽明学が広まったかと言えば、陽明学の王陽明さん。この人の頭もいいけど、軍を率いれば連戦連勝の人で江戸期の武士の気持ちを掴んだという訳。

この自分のことを内省し尽くし、腹の底から覚悟を決めて動くことを導く思想で、最強エンジンなのです。

よく、学生時代に全然勉強しなかった者がふとした瞬間、爆発的に動きだすことがあるが、まさにエンジンがかかると人は動くのです。

そのクルマの鍵のようなものが、陽明学なんだろうな。

西郷隆盛、吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟、河井継之助、横井小楠、藤田東湖、橋本左内、佐久間象山、山田方谷など陽明学により、エンジンをかけられた者は数限りなくいます。

本当に、自分の天命とか役割を考えつつ、動いていると、日々の充実度が全然違います。

すごく濃厚になる感じとでも言えます。

もう、人がどうのこうのなんて超越します。

さあ、みなさんもぜひ、理解を深めて、どうなるかやってみませんか?

ともに学びましょう。

付き合う層を変えてみたらどうなるだろうかの実験

1月3日。

昨年大勢の人の話を聞き、どのようなトークの組み立てをしているのか、ずっとみておりました。

正確に言えば、勝手に自分の頭が無意識に分析していた感じです。

というのも、聞く話が面白いく興味深いものが多くて、自然とフォーカスしていったのですね。
その中で、世の中には、「できる前提」で話をする人と、「できない前提」で話をする人がいるのだなぁと明確にわかって、できる意識の人は皆生き生きとしているなぁと感じました。

一昨年くらいまでは、できる前提で話す人は自分の周りで1割もいなくて、いかに自分の状況を肯定してやらない、参加しないの話を聞いてきていたのが、昨年は8割ができる前提で話す人が次々と現れるので、本当に180度こちらの思考も刺激を受けました。

変えたのは普段付き合う層。
以前はなんとなく知ってるとか、仕事関係で必然的に会う人と関わってきたのですが、それを自己啓発のセミナーなどで会ったような層にシフトすると主体的すぎて驚かされるような発言が次々と出るのでした。

元々、最上志向と学習欲がトップ5でスイッチが常にオンの状態なので、本当に自分の居場所を見つけた感がありました。

本当に以前のできないという層との付き合いはしんどかった。

自分がダメなんじゃないかとさえ思った。

それが今は非常に充実感を得られる状況にあるので、要は、願って動いてもがいて自分を内省することで、居場所を主体的に探すことが大事だなぁとしみじみ。

まあ、なんとなく生きるのも、それはそれでいいという考えもあり、幸福感を感じられればそれもありだと思うのですが、どうも居心地が悪いなぁと思うならば、主体的に求めて動くことが必要かと考えています。

2017最も印象深かった場所

2017年は、いろんな場所に行きました。

沖縄はひめゆりの塔

長崎は坂本龍馬の亀山社中

山口は吉田松陰の松下村塾

福井は橋本左内のお墓

滋賀は中江藤樹のお墓

兵庫は竹田城

新潟は月岡温泉

神奈川は鎌倉

茨城は弘道館

東京は昌平坂学問所

などなど。
僕の場合は、どうしても気になったら見てみたい、空気感を感じたいという衝動に駆られてしまうようです。
人生において、旅は日常にはない刺激をもたらせてくれるアクセントのようなものだと思っています。

行けば行くほど、芳醇なものに人生がなるような気がしています。
そんな中、2017のベストと言えば、僕は下関の関門海峡がすごくいいなと思いました。

上に挙げた、松下村塾などをレンタカーで巡ってきたのですが、バタバタの強行軍の中、新幹線の時間とライトアップの点灯時間との兼ね合いで、奇跡的にうまく見れたというもので、非常に思い出深い場所になりました。


さて、来年はどんな経験ができるか。

経験を大事と考える僕とすれば、考えるだけでワクワクしてきます。

ジム最終日。意地をみせてきた

12月28日の日記。

おとといジムのプールに行ったら25メートルで戦意喪失。

泳いでたら咳が出てきて、水から浮かび上がっても、咳で呼吸ができなくなるという事態になってしまいました。

大変だなぁと思うかもしれませんが、ずっと咳してるわけじゃなくて、調子上がってきたなと思ってチャレンジしたら無理だったというような、なかなかハードルを越えられないモタモタした感じです。

こんなひと月以上、調子悪いのは初めてなので、只々首をかしげる日々。

そんな中、今年ジムの最終日は、様子見つつも、行けるならやってやろうと思っていて、そうは言っても、おそるおそるな感じで、ひたすら水中ウォーキング。

気合いメーターが上がってこないと、いつまでも泳ぐことはしません。

そして、30分ほど歩きだんだん身体が温まってきて、様子を見ながら泳いでみます。

しんどくなったら休憩。

無理はしないと決めて、坦々と距離を伸ばして、500メートルまできました。

もうやめようと、頭が言うのですが、ハートと言うか魂が、「そんなんでええんか?お前はこんなもんかと」あしたのジョーの丹下段平のようなハッパをかけてくるので、すごく葛藤があります。

あと50メートル、あと50メートルと刻むことで、なんとかいつも通りの1キロを40日ぶりぐらいに達成することができました。

本当、病気になると体力も落ちますけど、気力もガクンと落ちるので、あげるのにすごく大変でした。

まあ、年末年始も引き続き様子を見つつ、徐々に元に戻していければいいなと思っています。

しかし、今回、普段から鍛えてる者でもなるんだと身に染みたので、以後は気をつけたいと思いますが、普段から何も運動や健康について気をつけていない人は、明日はわが身なので、是非とも気をつけていただきたいと思います。

クリスマス

12月25日の日記。

今日は、わたくし、風貌はバリバリの仏教徒の和尚ですけど、和尚もクリスマスをお祝いしました。

クリスマスイブの昨日に咳が治らんので、病院行ったら百日咳かもねと言われ、3秒だけショックを受けたのですけど、自分の性格として追い込まれたらテンションあがるようで、少しハイです。

まあ、不治の病でもないし、そのうち治るでしょう。

美味しいケーキもいただき、今日は満足です。

皆さんも、油断せず、良い年末をお過ごしください。

日記をつけると自分の強みが見えてくる。

毎日毎日、やたらと日記を書いています。

最初は質より量より更新頻度だと思い、更新するために日記形式にして、ブログ筋を鍛えようというつもりでした。

よく、何かを始めた場合、三日坊主になりやすいものですが、習慣にいかにもっていくのかがポイントだと考えていて、習慣にしてしまえばあらゆる事が可能となってきます。

そんな目的で始めた日記。

これが信じられないくらい、自分の事を知る手がかりになるものなのです。

昔から、自分探しにアフリカや中東など世界回ってきたつもりだったのですが、世界は自分の中にあるんだなと衝撃的な事実が書けば書くほど分かってきました。

よく、ブログや書物というと上手に書こうとしてしまうと思いますが、それは一方で偽りの自分であって、人には伝わっていないもの。
それより、自分の言いたい事が体のうちから、湧き水のように出てくる感覚が、書くべき事であり、人に伝わる事だと思うのです。

この効果を、会う人会う人に伝えていますが、きっと実践できる人は8:2の法則で10人いたら2人。

まあ、やらんです。

そして、これがいいと聞けば、西に東にいろんなセミナーを受けてしまい、知識で膨れ上がって、身動きが取れなくなってしまうのです。

身も心も日々断捨離。

自分の心を記しながら、自分の思考のクセを確かめる。

あとは、コーチングの対話でさらに自分がスッキリと浮かび上がってくると確信しています。

偉人伝おもしれー

12月23日の日記。
昨日はイギリスのチャーチルについての本を読み

今日は南アフリカのマンデラについて知る機会を得た。

過去の偉人の事を知ると、ありえない窮地に立たされながら、倒れないハートの強さには度肝を抜かされます。

チャーチルのナチスに攻撃されまくる中でのネバーギブアップの言葉なんか昔から大好きです。
今日のマンデラの言葉で響いたのは、「私は学んだ。勇気とは恐怖心の欠落ではなく、それに打ち勝つところにあるのだと。勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ」と「私が我が魂の指揮官なのだ」。

これ見てて、思うのは、要は自分次第なんだろうなという事。
自己概念が低ければその生き様になるだろうし、高ければ高いで不可能というものはないのだろうな。
おそらく、大抵他人と比べてしまって、自己概念を低く見積もってしまうのだろうが、これ絶対ダメだと思います。

他人は参考にさせてもらうだけで、あとは見ない。

見たら、すごい人だらけなので見ない。

自分をあくまでも信じてあげましょう。

これも一つのテクニックだと思うのです(笑)