みずうみに浮かぶ 人が住む島 滋賀県 沖島その②

前回に続きまして沖島の紹介です。

意外と盛りだくさんですので

どどんと載せてゆこうと思います。

沖島の地図

島内にありました地図を撮影しております。

居住地域はほとんどないものの、山に分け入りトレイルを楽しむことができます。

淡水で人が住む島はかなり珍しい

手作り感があたたかい

桜のシーズン

訪問時は3月下旬。

ラッキーでした。

狭い土地で寄せ合うように住んでいる

海じゃないので、洗濯干しても塩がつかない。

なので物干し竿が並んでおります。

名前は分かりません

とても綺麗でした。

桜の満開

咲いているところは咲いているが

港の桜は訪問時は二分咲き。

郵便局にATMあります

スーパーもないのですけど、ATMはあります。

子供達の教育用でしょうか?

ここは道路もないので信号もありません。

奥津嶋神社

とりあえず神社とあったので神社に向かいました。

奥津嶋神社

ものすごい急な階段を登らないとたどり着けない。

御由緒

和銅五年藤原不比等、勅命を奉じて創立すると伝えられています。

大永五年の社記一巻 享保十九年の弁財天記があります。

また一説によると原因は、築前は宗像の興津宮に坐す神と同神であり、古へ朝廷に於ても重く尊崇され、勅撰に依て、近江国式内一五五座の内の大社にて、殊に蒲生郡一社名神大之神社であると伝えし事があるといわれております。

タキリヒメとは

天照大御神と須佐之男命の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱。

『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫(たきりひめ)と表記される。

『古事記』では別名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)とされているが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。

『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照比売(したてるひめ)を生んだと記されている。

奥津嶋神社本殿

扉の両サイドの彫刻が見事であります。

山神神社

明治初期石材採掘が盛んになり、石工が島に渡ってきたとき勧請したものと伝えられ、採石場で怪我人が絶えなかったため新たに現在地に造営を行い、神霊をそこに遷したのであり氏神同様、春秋二回の例祭を行っているそうです。

トレイルに向かいます

児童公園の桜が見事。

桜を横目にコミュニティーセンターの横を通りトレイルへ

ケンケン山

ケンケン山とは、沖島210m峰の直下に位置し、山というよりは稜線上の広場の事。


島民によると、山名の由来は険しい山であったので「険険山=ケンケン山」と呼ばれるようになったそうです。

途中まではお墓が並ぶ横を通って行きます。

すると、登山口が出てきます。

まあ、間違えることはないと思います。

ケンケン山

私も登場しております。

稜線

歩き易いトレイルです。

イワカガミ

多年生草本.合弁花.葉は常緑性で根出し,縁には尖った鋸歯があり,先端部は尖らない.長い葉柄がある.花冠は先が5裂し,裂片のふちは細かく裂ける.雄蕊5個,基部に仮雄蕊5個.萼は5片で光沢があるそうです。

磐座群

草で覆われておりますが、巨石群です。

下の画像も左は巨石です。

調べてみると付近にコップがあり

かつてはお祀りされていた形跡がありました。

その③に続く

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