北朝鮮とアメリカの会談のかけ引きを見ていると

 

どうも我が国の幕末が頭によぎります。

 

アメリカが開国を迫る図に見えるのです(笑)

こないだ下田に行って、資料館などで知識を仕入れてきたので余計そうなのかもしれませんね。

 

政治的な話はしませんが、歴史の話をすると

 

今の歴史は、徳川幕府は敗者扱いにしているので、ペリーなど諸外国におどされて開国したとなっていますが、真実は全く違ったのです。

 

おどろきでした。

 

 

このアメリカに対する日本の交渉役は、昌平坂学問所の長である林大学頭が当たりました。

 

この林大学頭が実は凄い人なのです。

 

昌平坂学問所の塾頭というと、徳川幕府の最高頭脳にあたる役職で、日本一のキレ者が就くものでした。

 

したがって、ペリーが恫喝しようが、どうあがいても所詮アメリカの将校に過ぎない人物、キレキレの林大学頭がペリーをガンガン論破していくわけです。

 

 

これは記録にも残っているので、間違いないものなのですが、日本は開国はしたが、多くの条件というのをものすごく細かに逆にアメリカに突きつけたところまでもっていったということでした。

 

徳川は弱腰ではなかったのですねぇ。

 

もし詳しく知りたいという方は、下田市の黒船ミュージアムはじめ、市内にはさまざまな資料が残されていますので、是非自分の目で確かめに行かれることをオススメいたします!

 

黒船ミュージアム http://www.mobskurofune.com

伊豆下田観光協会公式サイト http://shimoda-city.info/tourism/

NHKBS歴史館 https://youtu.be/U8t6goXeetA

 

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