眼前に琵琶湖が見える樹下神社(滋賀県大津市)

滋賀県大津市にあります樹下神社のご紹介。

場所は琵琶湖大橋西側より15分ほど車を走らせたところです。

とてもオススメな神社です。

樹下神社アクセス

JR湖西線志賀駅より徒歩10分。

駐車場は無料。

樹下神社御由緒

神社入り口にある由緒書などによると創祀年代不詳。

木戸城主佐野左衛門尉豊賢の創建と伝えられています。

永享元年社地を除地とせられ、爾来世々木戸城主の崇敬が篤く、木戸庄(比良ノ本庄木戸庄)五ヶ村の氏神として崇敬されてきました。

ところが元亀二年織田信長の比叡山焼打の累を受け、翌三年社殿が焼失。

当時織田軍に追われて山中に遁世していた木戸城主佐野十乗坊秀方が社頭の荒廃を痛憂して、天正六年社殿を再造し、坂本の日吉山王より樹下大神を十禅師権現として再勧請して、郷内安穏貴賤豊楽を祈願せられました。

日吉山王の分霊社で、明治初年までは十禅師権現社と称され、コノモトさんとも呼ばれていた。

しかし類推するところ、古記録に正平三年に創立とあるのは、日吉山王を勧請した年代で、それ以前には古代より比良神を産土神として奉斎して来たもので、その云い伝えや文献が多く残っています。

境内の峰神社は祭神が比良神で、奥宮が比良山頂にあったもので今も「峰さん」「峰権現さん」と崇敬されています。

この比良神は古く比良三系を神体山として周辺の住民が産土神として仰いで来た神であるが、この比良山に佛教が入って来ると、宗教界に大きな位置をしめ、南都の佛教が入ると、東大寺縁起に比良神が重要な役割をもって現れ、続いて比叡山延暦寺の勢力が南都寺院を圧迫して入って来ると、比良神も北端に追われて白鬚明神が比良神であると縁起に語られ、地元民の比良権現信仰が白山権現にすり替えられるのである。

(比良神は貞観七年に従四位下の神階を贈られた)例祭には五基の神輿による勇壮な神幸祭があり、庄内五部落の立会の古式祭で古くより五箇祭と称され、湖西地方で有名な祭でもあります。

参道の様子

JR志賀駅や車が走る道は南側に通っており

そこから山側に上り詰めた所に社殿はあります。

ここはかつて志賀町役場のあった町の中心部にあり

この地域の鎮守であったことが推察されます。

境内に一歩足を踏み入れると

空気が変わる印象です。

とても清涼感のある場所。

手水鉢

石をコンコンと削りに削って作られた手水鉢。

一体どれぐらいの時間がかかったことでしょうか。

本殿 主祭神 玉依姫命

高皇産霊尊の娘万幡姫の娘。

天忍骨命の妃で、天之杵火々置瀬尊の母。

『玉依』とは霊憑(たまより)からきたもので、「神霊が依り憑く」という意味。

同じ「玉依」の名をもつ女神が日本各地に祀られていることから、タマヨリヒメとは「神霊の依りつく乙女(神に仕える巫女)」のことをさす普通名詞であると解釈したのは民俗学者の柳田国男だとか。

「タマヨリヒメ」の呼称は、古代の神祭りにおいて重要な役割を果たした巫女の機能を象徴する呼称という解釈をしてます。

そうした神霊が依り憑く機能に加え、タマヨリヒメ命には女性の子どもを生む力の印象が強く反映されています。「タマヨリ」の女性は、神婚によって神の子を宿したり、選ばれて神の妻となります。

そういう巫女的な霊力の女性の総称として「タマヨリヒメ」と呼ぶそうです。

もともと玉依姫は海の神の娘で、神婚によりたくさんの神々を生まれました。

彼女には浄化する清清しい水のエネルギーと、新しい生命を生み出すやさしく力強い母なる創造のエネルギーに満ちています。

産道

日本一の水がめである琵琶湖と

琵琶湖につながる参道

古代の人々の想像力の素晴らしさに舌をまくこの配置。

重機もない時代にひとつひとつ手で作り上げた。

参道とはまさに産道でもあり

今の世の中は男性優位のように言われますが

女性をリスペクトしていたようにも私には思えて仕方ありません。

天保11年

天保とは1831年から1845年までなのだそうですが

こちらの奉納図には天保11年の文字が見えています。

狛犬さま

狛犬というものは各地で表情が異なるだけに

全国を見てきて本当に面白いものであります。

こちらの狛犬さまの台座には嘉永の文字があり

1848年から1855年であり

元年とありますことから1848年だということがわかります。

本殿

境内内部は数多くの社があり

とてもこの地域が豊かで力があったように感じられる場所です。

地主神社

ウィキペディアによると

地主神社 神社や寺院が建立される際に、その土地の地主神を祀るために建立された神社。

神社の境内に末社として建てられている場合や、寺院に隣接して立地している場合がある。

己貴命(おおなむちのみこと)はオオクニヌシのこと。

葦原醜男(あしはらのしこお),八千矛神(やちほこのかみ),顕国玉神(うつしくにたまのかみ)などの別名がある。

牛尾神社 大山咋神

オオトシガミの御子神。

山に杭を打つというイメージから土地の所有を示す地主神とされた。

比叡山・延暦寺の守護にはじまり、京の都や江戸の鬼門を守護する役割を担ったことから要地の守護に用いられることが多い。

それが転じて、家内安全や地域鎮護の神として篤い崇敬を集めてきた。

主祭神の社の奥にはまた別の社があり

奥宮的な存在でしょうか?

近づいてみます。

社が2柱ありました。

牛尾神社と有徳神社です。

有徳神社 山末之大主神

『古事記』、『先代旧事本紀』「地祇本紀」では大山咋神と表記し、

『古事記』では別名を山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)と伝える。

つまり、名前は違えども同じ神様がここにはいるというとても興味深いことになっているようです。

宇佐神社 田心姫命

タキリビメは、日本神話に登場する女神。

宗像三女神の一柱で宗像大社では「田心姫神」として、沖ノ島にある沖津宮に祀られている。

おそらく琵琶湖の航海するのに祈願されていたことでしょう。

石の上に賽銭箱が乗っているというこれまた興味深い光景です。

稲荷神社

こちらはキツネのおいなりさんでした。

神饌所

神饌所しんせんしょとは「神饌(しんせん)」とは神様の食事のことであり、その食事の支度をするための社殿が「神饌所」。

八幡神社 応神天皇

八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。

誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。

また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。

不思議な石がとにかく多い境内です。

白玉大明神 覚玉大明神

御嶽信仰とか伏見稲荷でみられるようなものであるような印象。

このようなものは、調べてもわからないことが多い。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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