私達はどこまで繋がり続ける必要があるのだろう?繋がることは幸せなんだろうか?

電車の中で若い人たちがウェブ上の交流について「面倒だの、しんどいだの」言っているのを耳にしますが、実際そうだと思います。

僕たちの世界は、とても複雑で息苦しさに満ちているような気がしてなりません。

みなさんどう思われてます?

蜘蛛の巣社会

よくわからない、良いのか悪いのか分からない曖昧さの繋がりが四方八方に伸びている。

昔はなかったような繋がり。

オススメだといろんな会に呼ばれてたりすると、またそこで繋がる。

繋がり続ける無限ループ。

学校、会社、家庭、近所など従来からあった結びつきの拡大番。

この流れって必要?というのが今回の問いです。


いつから人は繋がり始めたか

今の世界史の研究では、人類はアフリカのタンザニア付近で生まれ、海岸沿いにアフリカ→中東→インド→東南アジア→中国→アメリカとグレートジャーニーの長い旅で広がったということです。

各地に人が散らばる中、言葉はバラバラになりました。

しかし、山に住む人と海の方に住む人では持っているものが違います。

そこに交易が生まれ、そこで稼げると考えた人が、相手との商売の記録をし、忘れないために文字ができたと言われています。

恐ろしい獣から身を守るための部族内での繋がりがまずありますが、それを除けば、人類初の繋がりは文字の誕生時に起こったものと言えます。


繋がる手法の変遷

人は文字を覚え、葉っぱや竹に文字を記します。

そして、紙が発明され長らく主要なツールとなり、近代になって郵便の制度や電話が発明され、繋がりは加速。

さらに無線技術の進化、コンピューターの発明、インターネットができ、スマホで大抵のことができてしまう世の中へ。

人々は、この技術の進歩に乗りはしているけれど、それがいいのか悪いのか、よくわからないまま来ているのが現状だと思うのです。

脳には刺激が強すぎる

人類が生まれてから、本来自然に近かったものが、技術の進化によりとんでもないところにまで来てしまったのが現状だと思います。

我々は、ロボットではなしに、生身の人間ということを忘れてはなりません。

人間なのだから、自然なのだから、自然じゃない刺激はよくないのではないでしょうか?

365日、インターネットの刺激を浴び、ディスプレイを見続け、無限ループで繋がりが拡大し続けている現状ってどうなんでしょう?

今、精神疾患と診断されている人が約400万人ほど。

ちょうど奈良時代の日本の人口がそのぐらいらしいのですが、そう考えると大変な事態なのです。

 

まとめ

技術の進化で拡大を続ける今までとは違った繋がりで、人は幸せになっているとはいえない。

本来の繋がりは、ゆるいものであったが、今は日に何度も繋がるなど慌ただしい。

我々の繋がってきたツールの変遷をみると、今の情報量は異常である。

情報過多は心にも体にも、負担である。奈良時代なら国民全員病んでいることになる。

 

いかがでしょうか?少し、自分の情報との向き合い方や人との繋がりなどについて、長い目でみれば幸せにつながるのではないでしょうか?

私自身は、フェイスブックとは距離を置こうと考えています。

また、どう変わったかなどお伝えできればと思います。

ありがとうございました。


 

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