義に生きた武将大谷吉継から生き様を感じてきた。

戦国武将で、誰が一番魅力的かと言われると、僕の場合は大谷吉継かなというのが自分の中で固まりつつある。

人それぞれが、この人というのがあるだろうが、いろいろな歴史に関連するものに触れて、それを通して多くの生き様に出会う中でやっぱりこの人だ。この人のようになりたいと思わせてくれるのが吉継というところにたどり着いた。

 

先日、古戦場の関ヶ原を通った時に、ふと大谷吉継という看板が目に留まったので、瞬間的に思い出して立ち寄ったのです。

 

滋賀から岐阜に抜ける国道沿いに史跡はあるのですけれど、よっぽどでないと通過する感じ。僕も何度も通っているけれど、大抵何か別の用で通るので、わざわざ車を降りて見に行くことはしていなかったのですけれど、今回は何か感じるものがあったのかもしれません。

 

そもそも誰?と知らない人もいると思うので、ざっくりと言うと

天下人の豊臣秀吉に若い頃から仕えた人で、石田三成の親友。

三成が頭がキレすぎて人の心を掴めないのに対して、徳川家康とも昵懇で文武共にバランスが良く社交性がある。

戦略的思考から三成の不足を補い、関ヶ原の合戦の総参謀。

関ヶ原の合戦は豊臣という大会社の番頭さんと、徳川という豊臣に匹敵する大会社が戦う構図で、人望、戦力などが桁違いに違うという戦。石田三成と大谷吉継の領地を合わせても20万石だが、徳川は200万石以上と差は歴然。

不利と分かっていながら、合戦当日は西軍約8万と東軍7万という、周りの予想を覆すところまで仕上げていった大元だと言える人なのです。

 

 

東軍が西に進んでくる中山道に睨みを利かすように、関ヶ原では布陣。この鳥居の奥に陣を構えたそうです。

 

 

少し登ります

 

 

吉継ら西軍が勝つには毛利家の動きが鍵であったらしいのですが、寝返る可能性もあったことから大谷軍が敢えて毛利家に並ぶように布陣。実際毛利家対策に土塁を構築して防御していたので、1万を超える大群を数千で3度撃退したと言われています。

 

 

写真で言えば見えている道路は国道。昔の道である中山道を挟んで奥の山が毛利の陣。右側は滋賀県に通じ、左側が岐阜県に通じます。ここから大谷軍は毛利の動きを伺っていました。

 

 

 

 

 

三度押し返すも、大谷軍は壊滅し、吉継は自刃。(吉隆とも言うことです)享年36歳。

 

 

 

その生き様からはいろいろなことを教えてくれるように、僕には感じられます。

 

人の一生は長寿な人もいるけれど、正味五十そこそこ。

一旦覚悟を決めたら、あとは進むだけ。

死は誰にでもやってくるものなので、気にしない。

そんなハートで生きたいものです。

 

あなたはどう生きてますか?

そしてこれからどう生きますか?

 

 

 

 

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