「神戸製鋼のアルミ製品の性能データの改ざん問題、全国4カ所の工場で管理職が把握するなど、不正が長年横行していたことが明らかになった。」という日本経済新聞の記事。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22038960Y7A001C1TJC000/
組織の末期はいつもコミュニケーションが取れずに、勝手な判断を重ねて負のスパイラルに陥り、気付いた時には取り返しのつかないことになっているパターンが多い。
労働基準監督署時代も社会保険労務士として見ていても、そもそも会話が驚くほど取られていない。
例えば、勤務中は私語は禁止。
そらそうかもしれないけれど、どうやってそれでいいものができるのか?
テレビの番組を作っていた時は、制作スタッフ同士行きのロケ車で喋り、現場で喋りと喋りきった方がいい作品はできると確信しているので、喋るのも仕事のうちと考えています。
ところで興味深いデータ。
まず、我が国の年間離婚件数は 21 万 7000 組。
リンクは平成 28 年(2016) 人口動態統計の年間推計
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei16/dl/2016suikei.pdf
日本はすでに3組に1組が離婚する「離婚大国」となっているところを見ても、我々はコミュニケーションが下手くそだと認識した方がいいかと思う。
だいたい、家でコミュニケーションとれない人間が、社会でとれるはずがないと思うがいかがであろうか?
もちろん、神戸製鋼や東芝など一流と言われる企業は、社員教育もコストかけてやっているはず。
で、なぜうまくいかないのか?
繰り返しになりますが、我々はコミュニケーションが下手。
自我が出すぎて、容易に他人を受け入れられないわけだ。
そうすると、コミュニケーションが取れずに、関係も悪くなるという負の方程式。
やはり、そこを改めるには、自分自身を各自が見つめ直し、積極的に他人を知ろうという努力が欠かせないのかと思う。
きっとそれが難しいのだろうけれど、成功者というか上手に生きている人ほど、他人を理解する努力をし、尊重しているのかと思う。
いわば、自分を生かすためにまず他を生かすというべきであろうか。
ただ、人間はどの人も自分自身は普通だと思い込んでいる。自分自身のナチュラルだと。そこも問題かと。
信じたい気持ちはわかるけれど、どの人も自分自身の生きてきた道は自分しかわからない。そこを分かり合おうというのがコミュニケーションなんだろうけれど、会話がなければ分り合う手段を失っているわけだ。
いずれにしても、もっとみんなで話そうよ。嫌感があるのは当たり前、自分を生かそうと思ったら他人を生かす。
良好なコミュニケーションが、家庭も会社も社会も豊かにするのではないでしょうか?