人は人生において、失敗し、挫折を味合うことはあるでしょう。
みなさんも何らかの経験はされているのではないでしょうか?
今回は、あるプロ野球選手の話をさせていただきます。
ご自身の失敗、挫折を思い起こしながらお読みいただければ幸いです。
男の名前は、山本和範。
九州小倉出身。戸畑商業高校のエースピッチャー。
高校卒業して、巨人の入団テストを受験し合格。
しかし、近鉄からドラフト指名され5位で入団した。
「プロ野球というところで、自分がどれだけの力があるかやってやろう!」と希望に胸を膨らませてのスタートだった。
1回目の挫折
入団一週間も経たないうちに、チームコーチからピッチャーからのクビを宣告される。
元々耳に障害があった山本は、よく聞こえないというハンデを背負っていて、5感をフルでつかうことができないという、致命的なところがあった。
球団ないでも、指示を聞き逃してしまい、さまざまな誤解もあった。
これに対して、山本の心はどこまでも前向きだった。
ハンデと思えば、何かと人のせいにしてしまう。それより、自分に力がないと考えることにしたのだ。
2回目の挫折
6年間近鉄に在籍したものの、目立った結果がでない。
そこで、解雇を宣告され、2回目の挫折を経験。
しかし、山本は諦めない。
バッティングセンターに勤め、営業終了後に打撃練習する毎日を続ける。
すると、南海からオファーが舞い込んできた。野球界復帰である。
復帰の翌年には、3割の打撃成績を残し、年俸2億。
本当のスター選手になった瞬間であった。
しかし、翌年、試合中に右肩を脱臼し、近鉄、南海を経てダイエーホークスに当時在籍していたが、解雇を通告させる。
3回目の挫折
当時山本は、38歳という年齢。
世間はだれもが引退の二文字を予想していたのだ。
だが、山本は諦めきれない。
一番最初に在籍していた、近鉄の入団テストを受検。
スター選手がプライドを捨てた挑戦だった。
しかし、神さまもまだ山本を見捨てはしない。
近鉄の入団テストに合格し、3度目の球界復帰。
その最初の打席で、ライトスタンドに叩き込むホームラン。
まだやれる。そう、見せつけたかのような一打であった。
さらに、38歳で初めてのオールスターに選ばれ、かつて追い出された福岡で打席に代打で立つ。
九州は山本を育てた地でもあり、打席に立った山本には球場全体からの拍手と声援があったのだ。
ランナーは2人。プロ20年目。そして故郷である九州。
この舞台で、野球人生を表したかのような、なんと3ランホームランだった。
また、この時のインタビュー。「まぐれでしょう」というのが実に彼らしい。
そして、それから4年、41歳まで現役を続けての最終打席。
ホームランを打てばみんな黙る。だから打つということにこだわった男の吠えるような一打でプロ野球人生を閉じるのであった。
まとめ
ドラフト5位で入団した山本和範
近鉄、南海、ダイエー、近鉄と渡り歩いてきた
耳がよく聞こえないというハンデがあった
入団一週間も経たないうちに、チームコーチからピッチャーからのクビを宣告
2年間近鉄に在籍したものの、目立った結果がでない。そこで、解雇を宣告
試合中に右肩を脱臼し、ダイエーホークスに当時在籍していたが、解雇を宣告
それでも打席に立ち続けたのは、「絶対諦めない心と必ず扉は開かれる」を伝えたいから
みなさんいかがだったでしょう?僕は、仕事で当時は近鉄バッファローズの藤井寺球場に行ってたものですから、鮮明に覚えています。
人は失敗を恐れてできるだけ無難に生きよう生きようとしてしまいます。
しかし、無難に生きた人生はあなたらしいものでしょうか?
Yesであるならそれでいいでしょう。
しかしNoであるならば、山本選手のように、人生に向き合うことが必要なのではないでしょうか?