11月20日の日記。
電車や車の中で器用に化粧をする光景に出くわし、頑張って書いてはるわと最初は感心していた。
以来、それまで気にならなかったものが、気になっているのだが、そもそもなぜ化粧をするのだろう?
よく聞くのはメイクなしには外に出られない。
眉毛がないので書いている。
など、化粧は必要なのだけれど、本当に必要かと言えば、そうでもない気がする。
外見を整えるという意味で必要なのです。いわゆる身だしなみの一環です。と言われれば、それもそうだと納得できる。
ただ、問題は身だしなみなら何処でやってもいいかというのもまた問題なのだ。
人は良い服や良い靴、化粧などで身だしなみとしてつくろうことはできるが、あくまでも外見上の話。
外見はつくろえるが、内面が成熟していないために時と場所を選ばずに、外見をつくろう行動に出てしまうのであろう。
他に、ソーシャルメディアでも自分はこれだけお洒落に気を遣っていますアピールを見ると、これもまた内面が鍛えられていませんね。と捉えることができてしまいます。
そこで思い出すのが、かつての日本にあった「粋でいなせ」、「わびさび」という言葉。
昔は決してものが多くなく、その中で格好良さが何かを追い求め、内面が発達した時代があったかと思うのです。
内面にはユニクロはないわけですし、着飾ることは出来ません。
どのような人生を過ごしてきたかの積み重ねかと思うのです。
あなたの眼の前にいる方が、外見だけでなく、どのような内面を着ているのかという視点で見ても面白いかもしれません。