皆さんは、「天皇」っていつから使われているかご存知でしょうか?
また、伊勢神宮と天皇家ってどうして結びついているのでしょうか?
アイキャッチは滋賀県にある天皇のお墓、天皇陵なんですけど、誰か知ってます?
今日はその辺りの話を記事にしました。
どうぞお付き合いください。
天皇の由来は何?
まず、天皇は当初は大君(おおきみ)といわれていて、それが、天武天皇の治世に天皇の称号を使うようになりました。
当時は、中国から社会システムはじめいろんなものを輸入していましたが、不老不死を主張する道教から来ているのだそう。
道教の教えの中での、ランクが最上位が「天皇」というのである。
天武天皇ってどういう人?
天智天皇の御陵は京都にありますが、お妃の御陵は滋賀にあります。
地元滋賀県にも都があった時期があって、それが大津京。
今の近江神宮のところがかつての都の跡なんだとか。
その一帯の地名をいまでも皇子山といったりします。
最近では広瀬すずさん主演の映画「ちはやふる」の舞台で、百人一首の全国大会が行われる場所です。
そこに都を持ってきたのが、天智天皇。
奈良の藤原京から大阪の難波宮にいき、大津京という流れだ。
その天智天皇の弟が天武天皇。
大友皇子、大海人皇子?
伊勢神宮
ちなみに天智天皇の息子が大友皇子で、大海人皇子が後の天武天皇。
この二人が天智天皇の死後、権力を争い、天下を分ける壮絶な死闘をやった。壬申の乱。
その時に、伊勢地方の勢力を味方に引き入れ、伊勢神宮と天皇家の結び付けを協力に進めたのが、大海人皇子こと天武天皇ということだ。
そして、大友皇子に勝った大海人皇子は再び奈良に都を戻す。
まとめ
天皇という称号は中国の道教の最高位から来ていて、天武天皇が定めた。
天武天皇は天智天皇の弟。
伊勢神宮と天皇家の関係は、天武天皇と関わりを持ち、天皇の代わりに伊勢神宮の神様にお仕えする斎宮をその後派遣するのが慣例となった。
いかがでしたでしょうか?
滋賀に都?天皇陵?とイメージなかったのではないでしょうか?
しかし、大津京を舞台にしたいろんなドラマがあり、今の皇室にも繋がっているのだと思うと、日本の歴史をもっと知りたいと思われませんか?
是非一度、天武天皇に敗れたものの、大津京で政治をやった弘文天皇の御陵も訪れてみてください。
すごくパワーを感じる場所でした。