よく「ご縁」をいただきましてと聞くし、私も使ったりする。
しかし、この「縁」って何なんだろうかと日本の各地東は茨城県から沖縄まで出かけたり、アメリカに出かけ、アメリカ大陸を鉄道で横断したりとここ2年ほどずっと問いをたてて考えているうちに見えてきたものがあります。
昔からご縁を結んできた
そもそも、私たち日本人はお寺や神社を参拝し、「ご縁をいただいてきた」とか言ったりします。
繋がりを求めて、見えない糸でもって結んできたというのが分かりやすいですね。
昔の話を例にしたいと思います。
江戸時代は檀家制度というもので、地元のお寺にしか原則所属できませんでした。
自由な旅はできません。
自分が住んでいる藩の外は外国なので、藩のパスポート藩札がないと動けない。
そんな土地に縛られた生き方にをさせられていました。
お伊勢参りや西国三十三所巡礼や四国巡礼はまさに新たな縁を求めた旅だったのかと思われます。
ちなみにローマ帝国でも民衆に反乱を起こさせないように、パンと見世物をということで、コロッセオで剣闘士によるいわばショーが盛んに行われました。映画でもあったかと思います。
お伊勢参りや西国三十三所巡礼や四国巡礼なども、ローマ帝国と同じように一揆を起こさせないために、土地に縛られた民衆を旅行に行かせて政権の不満への空気抜きをさせていたわけです。
当時はスマホもないから情報がない。いろいろなことが分からないし、結婚も自由ではないという人との関わりも不安の中に暮らしているから、何かと神仏が頼りだったことはお分かりになるかと思います。
本来の縁とは離れがたいもの
不自由と不安の中、「ご縁」を結ぶということは非常に切実な思いが込められている。
そんなものではないでしょうか?
しかし、今の社会、どこにでも自由に動けます。どこに住もうが、だれと結婚しようが、世界中旅行もできます。
いわば、「ご縁まみれ」。
無数に繋がってしまっている状態と言えます。
それではしんどくなるのも当然ですよね。
縁は自分の努力や行動で動かせる
今、世の中人間関係の悩みがほとんど。
SNSのツイッター社のセミナーでも、一番つぶやかれているのは「疲れた」だと言っていた。
学校、会社、親子、夫婦、兄弟、親戚、友人、知人、近所。
いろんなところに張り巡らせた縁も、疲れるなら切ればいい。
それだけだと思います。
思い込みを改め、自分の心地よい関係ってなんだろうと自分に問うのです。
縁切り寺・縁切り神社
最後に、一度、こういったところを訪れてみるのもいいかもしれません。
検索すればいろいろ出てきます。
中でも、最強と言われるところが京都にあって、安井金比羅宮です。
ホームページも雰囲気あります。
http://www.yasui-konpiragu.or.jp 興味のある方は京都観光の際どうぞ。
京都の祇園や清水寺のあたりだと思っていただけたら分かりやすいかと思います。
昼も悪縁を切り
夜も24時間悪縁を切ってくれます
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