なぜ陽明学やるの?と聞かれ、最近はこう答える。
何気ない日常の中で、「もやっと」頭の中をよぎることは、ままあるかと思います。
電車の中で、おじいさんおばあさんが立っていた時、目の不自由な方が歩いていた時。子供が迷子で泣いているような時。
何とかしたい。やろうかやらまいか、どうしようか。
やったらいいのにできないのはなぜか?
陽明学的に言えば知行合一していない。
それは、知らないことと同じなんだ。
なぜ、自分のサイドブレーキを引いたままに走らせるのか?
もやもやをいつも引きずって走らせるから、いつももやもやが晴れない。
ちなみにこのもやもやを「良知」と陽明学では言うが、
良知を致す=いいと信じることを実践することが一番大事なんだよとも言っている。
要は、行動を意識付けすることが大事なんだ。
しかも、ただ行動するだけじゃなくて、善なる行動する。
コツコツと毎日意識する。するといつの間にか、ブレーキが外れスムーズに自分を走らせるようになるのだ。
きっと、うまくいっている人は、いつの間にかこのサイクル気づいたのではないかと思う。
だから紀元前から続く孔子孟子の思想を数百年かけて磨き上げ、さらに仏教や道教の思想も取り入れたいわば、熟成された倫理感としての陽明学が、注目に値するのだと。
さらに言えば、自分を意識することで、強みに気づき、活かすことで豊かな人生を生きれるのだ。
そのように考えています。