僕たちは幼い頃、公園や広場を駆け、森や林の中を走り回っていたことを覚えている。
懸命に走って息を切らせて、地面に座り込んで青い空を見ていたものだ。
学生時代
しかし、学校に入ると話は変わってくる。
部活なんか入ると、先輩後輩という関係ができる
先生という存在がああしろこうしろと言う。
人間関係の駆け引きが生まれ、そこで言わば「パシらせるか」「パシらされる」なんておかしな関係も生まれてしまう。
人間ができていない者同士が駆け引きをするものだから、陰湿なものも中にはあるのだろう。
社会人
社会人になると、さすがにふるいにかけられて仕事に就いていくので、おかしな関係を築かされてきた人も、一息つける可能性がある。
しかし、いわゆるブラック課長やらお茶の局さまのようなやんごとなき方と出会ってしまえば、またおかしな関係が築かれてしまう。
さらに要領のいい同僚にうまい具合に使われて、俺はなにしているのだと思うこともあるだろう。
結婚生活
学生、社会人となんとか渡り、ついに運命の人と出会う人もいるだろう。
そこで、うまくワークライフバランスがとれれば結構。
しかし大抵はそううまくはいかない。
人生は筋書きがないドラマだ。
夫は妻のことを不満に思い
妻は夫のことを不満に思う
子供が生まれれば、妻は子供と連携し
夫は居場所を失う。
本当に難しいものです。
人生という車
あなたは間違いなく、自分の人生を運転している。
バイクがいいという人はバイクでもいいだろう
しかし、ハンドルを握っているのは誰でもないあなただ。
いろんな関係が積もり積もって見えていないが、幼い頃の感覚は根底にはあるはずだ。
自分なりの走りは存在している。
人間は人との関係の上に成り立っているし
日々やれ受検だの、テストだの、仕事だのと急かされて追い立てられていると
運転席のうしろか横でやかましく言われているようなもの。
そんな状態でいつもいるってどう思われます?
もちろん関係は大切なのはいうまでもない。
そこでイメージすべきなのは、「今ここ」という自分の状態を客観視すること。
自分の本来はこうだよなと、自分のリズムを思い出すことだろう。
他人の歩調にいつも合わせ続けるからつらいのだ。
おまけ
こんなはずじゃなかった。
ここは私の来たいところではなかったといっても人生にやり直しは効かない。
だから、自分が運転しやすいような工夫が求められるわけだ。
是非ピンときた方はなんらかのアクションに繋げてより良い生き方を模索していただきたい。