人生いろいろ生きていればいろんなことがあるというものです。
どの人も、いろんなもやっとする思いがあるかと思うのですが、それを陽明学では良知が反応したからだと言います。
つまり、行為をしたときは反射的、本能的に対応したのであって、よくよく考えてみると、別の自分がいて、よくよく考えればやらなかったほうがよかったと思った時にもやっと感は生じる訳です。
最近では、滋賀県の新人警察官の初仕事が先輩の射殺であったり、官僚のセクハラ、レスリングのパワハラ、相撲の暴行などなど、残念な話を耳にすると、本当に緊急の課題でないかと思うのです。
他人は自分ではありません。
人の数だけ考え方に正解があるように、自分の考えを押し込むような風潮があるような気がします。
普段仕事でも社労士なので、労働問題の話など聞きますが、皆が自分の信じる常識を押し付けあっている感じがします。
僕たちは、高校までは、道徳や倫理など薄く習ったりしますが、そのあとの長い社会人生活では、興味がなければ学ぶこともありません。
家庭においても、両親共働き、男女雇用機会均等だーと働いていると、子どもたちは道徳感倫理観を学ばずに大きくなってしまう可能性が大きいかと思います。
このような現状をみて、今こそ、心の問題を大人から子供まで、学ぶようにすべきなのかなと強く思います。
かつて、江戸時代、黒船に乗ってこの国を見た異国の人は、あまりにも道がきれいに掃き清められていること、荷物をそのままにしても盗まれず、忘れ物をしたら届けてくれること、それに、物が無人で販売されてお金が置かれていることに驚いたということがあります。
それもこれも、かつての教育は知識偏重ではなく、いかに善良であるかがたいせ地にされたからなのです。
今の社会を見て、このトラブルを見て、必然的にどのようにすべきかは、おわかりになるのではないでしょうか?
みなさんの良知を是非発揮していっていただきたいと思います。