比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄、その母親が神様としてお祀りされております。
今回はそのお社の紹介です。
やってきました市殿神社。
ここは、最澄が生まれたとされる生源寺の側にあります。
ウォーキング中のワタシの姿が映り込んでおります。
ここは子育ての神様ですね。
スタイル的には神仏習合してますね。
この社の前は延暦寺の事務所があります。
インド生まれの仏教と日本の神道の融合がワタシには興味深く映ります。
キレイに履き清められておりますね。
70歳位まで生きておられたようですね。
弘仁十三年(八二二)六月四日、伝教大師は比叡山中道院で入滅。
五十七歳。
その遺言は以下の通りです。
「怨みを以って怨みに報ぜば、怨み止まず。徳を以って怨みに報ぜば、怨み即ち尽く。長夜夢裏のことを怨む莫れ、法性真如の境を信ずべし」
「我が為に仏を作るなかれ、我が為に経を写すなかれ、我が志をのべよ」
「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」
「毎日諸大乗経を長講し慇懃(おんごん)に精進して法をして久住せしめん。国家を利益せんがため、群生を度せんがためなり。努力めよ、努力めよ」
「我れ生まれてよりこのかた、口に言(そごん)なく、手に笞罰(ちばつ)せず、今我が同法、童子を打たずんば、我が為に大恩なり、努力めよ、努力めよ」
社殿から見て、正面には比叡山があり、母はいつまでも息子が築いた比叡山延暦寺の方角を見守っております。