時代は常に前の時代の弊害を乗り越える形で変わっていく

最近話題の組織を眺めていて、どうも心のモヤモヤが晴れません。

何でだろう何でだろうと、突き詰めていくと見えてくるものがありました。

運命共同体

かつて人は土と共に生き

ムラを形成し運命共同体を作った。

生きるも死ぬもムラと一緒。

あそこで困ったことがあるぞと言えば出かけ

また明日は別のところという具合。

機械的数字論

それが、これからは産業だと土を離れた瞬間

あちこちにあった共同体の輪が壊れ

会社というよくわからない人の集まりができた。

モノはたくさん作られ

一見豊かになったように思えたが

人は機械的に

数字で繋がるだけ

かつて感じた人間的生命の繋がりが失われてしまっていた。

人を冷ます社会

その機械的数字論の集まりはある日バッサリと人を切る。

昨日一緒にいた人が今日はいないのだ。

土と共に生きていた頃にはなかったこと。

心で繋がっていた頃にはできなかったことを機械的に叩き切ってしまうのだ。

そんな、よくわからない人の集まりだから、心許せることができず毎日ストレスが雪だるまのように大きくなる。

まさに人が温もりを感じられない

人を冷やす社会だ。

時代は常に前の時代の弊害を乗り越える形で変わっていく

歴史をこの二年勉強し直して、随分といろいろな時代を洗い出して見てますが

時代というのは、何かが起こり、そのことに対しての修正が次の時代を作っています。

その繰り返しです。

そして、今、パワハラや長時間労働など働き方改革と言われるように注目されているのは

まさにその潮目にあるのだということなのです。

モヤモヤとしつつも、そう道筋が見えつつもあるので

そういう意味では今後の展開が非常に楽しみだ。

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