世の中には、
自分探しをそもそもしないという人
自分探しをあきらめた人
自分探しを続ける人
この3パターンがある。
自分探しをしていない人も、そうは言ってもいつスイッチが入るかわからないから不思議だ。
ストレングスファインダーを見つめてきて、また、東洋の儒学を見つめてきて、本質は同じなんだなぁと悟るに至った。
中国の明の時代の儒学者、王陽明が
「心の本体が明らかになれば、おのずと道も明らかになる」と言っているが、まさにそうだと思う。
ただ、心の本体を探すのが、大変なのだ。
とはいえ、「人生が変わる」と断言したい。
あきらめずに探してもらいたい。
心の本体である良知は、すでにそれぞれの心に備わっているのに、どうして探さなければならないのでしょうか。探すという行為は、私の向こうに心の本体・良知を想定することになり、欧米流の二元論に陥っているのです。自分探しと言い訳をして、海外に出る人がいますが、「灯台下暗し」としか言いようがありません。
林田先生 コメントありがとうございます!
本当にその通りだと思います。
私もその残念な一人でして、世界中を自分を探して旅しましたが、自分の中にあった時に衝撃が走りました。
しかし、西遊記や幸せの青い鳥のような昔話にもあるように、自分探しはいつの時代もあるのだろうなと思います。
私は西洋の心理学も学んでいるので、自分探しは人はやりたいのだという前提から、自分の経験も踏まえて話ができればと考えています。
とても刺さるお話ありがとうございます!