社会が不安定ですと、いつの世も神頼みというのも大切ではないかとわたしは思います。
今回は滋賀県の神田神社。
京都駅からJR湖西線でわずか5駅。
そんなところにある神田神社を紹介しよう。
神田神社
やってきました神田神社。
滋賀県大津市堅田にあります。
一応動画もございます。
よかったらどうぞ。
ざっと参拝風景を撮っております。
古代に真野臣(おみ)が当地を支配していて、春日山古墳群(6 – 7世紀前半)など遺跡が多い場所。
山を越えれば都があった京都なので、貴族の荘園などにもなっていた地域と周囲を調べていると分かってきました。
この神田という名前は、伊勢神宮の領地であったからと言われていて、それこそ田んぼがあったことからついているのだとか。
厄除明神神田神社
厄除明神神田神社。
無料で配られておりました。
わたしアマビエについてよく知りませんでしたので、ついでにウィキペディアに書いていたものを載せておきます。
アマビエは、江戸時代後期に製作されたとみられる瓦版に類する刷り物に、絵と文とが記されている。肥後国の夜ごとに海に光り物が起こったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して「当年より6ヶ年の間は諸国で豊作がつづく。しかし同時に疫病が流行するから、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ。」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行ったとされる。
神田神社ご祭神
以下は公式ホームページより
彦国葺命(ひこくにふきのみこと)
孝昭天皇の子孫で、 真野の祖(氏神)とされています 孝昭天皇(第5代、在位:紀元前475年~紀元前393年) | 天足彦国押人命(孝昭天皇の皇子) | 和爾日子押人命(わにひこおしひとのみこと) | 彦国姥津命(ひこくにおけつのみこと) | 伊富都久命 | 彦国葺命 |
彦国葺命(ひこくにふきのみこと)は崇神10年(紀元前87年、第10代 崇神天皇の御代)に武埴安彦(たけはにやすひこ)が率いる賊軍を討つ功績を挙げられました(古事記)
知勇、学才に優れ、「厄除、勝運の神」と仰がれました。
当社の創始は彦国葺命をおまつりするため、その子孫が祠(ほこら)を建てたのが始まりと伝えられています
神社内にお寺がある珍しい神社
ホームページより
インド発祥の「仏教」が伝来したのは今からおよそ1500年前。
仏教が伝来するよりもずっと昔から独自の信仰である「神道」が日本にはありました。
固有の信仰があったにも関わらず、仏教は日本人に受け入れられ、神道と融合をはじめました
日本人はその頃から異国の文化に寛容で、良いものは取り入れようとする民族だったようです。
この融合が「神仏習合」です。
神仏習合を示す現象として、神社に神宮寺が建てられ、仏像が祀られました
反対にお寺には日本の神が祀られました。
「神社とお寺の違いが分からない」という声をよく耳にするのは、これが原因だったのです。
この神仏習合は明治の時代まで続きました。
時代のうねりが押し寄せる明治に神道と仏教を分ける動き(神仏分離)が起きました。
神社から仏教に関するもの(仏像など)は排除されていき(廃仏毀釈)、
お寺からもまた、神道を感じられるものは排除されていきました。
しかし、現在でも神仏習合の面影はいろいろなところに残っています。
お寺に鳥居があり、神社に瓦葺(かわらぶき)のお社(やしろ)が数多く見られます。
ただ、仏像をお祀りする神社はそれほど多くありません
幸いにして当神社では、廃仏毀釈の難を逃れた不動明王をお祀りしています
神仏習合を伝える全国的にも珍しい神社と云えます。
縁結びの木
伊勢神宮遥拝所
伊勢神宮の領地であっただけに、このような場所があるのでしょうか?
この規模の神社にしては珍しいかもしれません。
七福神社
七神が一堂に会する、贅沢なお社があります。
あなたが求める神様がきっと見つかるはず。
稲荷社は商売繁盛
回歴春社は若返り
八幡宮は必勝
園社は健康
客人宮は恋愛
西浦社は子宝
都久夫須麻神社は交通安全
神田神社 社務所
〒520-0232
滋賀県大津市真野4-7-2
TEL:077-572-1330
FAX:077-573-1662
最後までお読みいただきありがとうございます。
もう一本いかがでしょうか?