昨日 大津百町館で中国の古典伝習録から学ぶ勉強会を大津で開催。
場所は大津百町館。
明治時代の古民家で、静かな中、柱時計の音が心地よく耳に届く。
一年前から、寺子屋をやりたいと思いつつ、思いだけで、空回りしていただけでした。
そこで陽明学と出会い、
これだけ研究し
陽明学の権威、難波先生から学び、仲間と切磋琢磨するうちに、自分も何か行動したくなってきた訳です。
行動こそ陽明学の本質。
空回りしていたのがギアとギアがかみ合ったようなものです。
「自分の壁を越えた」感じ。
この感覚を参加者の方には、伝えたいし、体感してもらいたいですね。
原則、毎月一回土曜日に開催しますので、どうぞ宜しくおねがいします。
滋賀県の高島は、日本陽明学の祖、中江藤樹先生の生誕の地でもあります。また、同じ様な講座が全国20箇所で開催されておりますので、別の場所で学ぶとまた違う空気を吸うようなもので、すごくいいものです。
最後に、伝習録をまとめたひとりの徐愛という、王陽明の一番弟子が言った言葉。
心はいわば鏡だ。
ただ、聖人の心は明鏡であり、常人の心は曇った鏡である。近世の格物の説は、鏡で物を映す場合にたとえれば、映すことに功夫を集中するだけで、鏡が曇っているかどうかを問題にしないというのだから、これではいったい物が映るわけがない。
陽明先生の格物は、いわば、鏡を磨いて透明にするというわけで、磨くということに功夫を集中するのだから、透明になった後は、あらゆるものをいつでも映しだすことができる。
要は、人の心は曇った鏡。無意識だと何も見えない。だから意識して鏡を磨き、すべてを見通せるようにしようと言います。
まさに、この場で、そのお手伝いができればいいな。そんな風に考えています。
ご覧いただきありがとう御座います。
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どうぞ宜しくおねがいします。