阪神淡路大震災を経験した僕は、地の果てを目指した

1995という年

1995年という年を境に、バブルで浮かれた空気を総入れ替えしたような感覚が僕にはある。24年前の今日起こった阪神淡路大震災。そして3月起こった地下鉄サリン事件。

それまではJapan is No1.と、世界各地を経済で席巻するさまに、自分でも社会に出れば何か支配できるという今思えば、変な感覚があったような気がある。

それが、地震でビルは倒れ、高速道路は横倒し、家々は屋根瓦落ち、商店街は燃える。これまで、人間がコントロールできるのが当たり前だと思っていたのが、そうではなかったと見せつけられたわけだ。

新しい時代を前に

当時、関西学院大学の学生だった僕は、親たちと復興支援にも関わりつつ、どうしても地球の果てとか、はしっこを見たいという気持ちが起きて、この年の3月にヨーロッパに向けて出国。おそらく、ざっと地球を俯瞰したかったのではないかと思っています。

地下鉄サリン事件

大学が5月まで休校だったので、自分のすべきことは世界を見ることだと考えて、まずはフランスはパリに入る。

そして、オペラ座の近くの日本食レストランでカツ丼食べてたら地下鉄サリン事件のニュース。3月20日の事だ。

地上の果てへ

航空券はパリ入りで、帰りはスペインマドリード。一ヶ月の予定で来て、目指そうとしていたのは、ポルトガルのロカ岬。ユーラシア大陸最西端、沢木耕太郎の「深夜特急」の終着点だ。

パリのオステルリッツ駅からマドリードを目指す。

すると、道中車窓を見ながら、アフリカに行こうと思い付く。バックパッカーならではのまさに旅。

僕の最初の海外はイタリアに2ヶ月テントと寝袋を持っての生活を経験しているので、何でもこいの感覚だ。

登山道具と砂漠の装備を揃える

5000メートル近い北アフリカ最高峰と夜は極寒だというサハラ砂漠。思いつきにしては無茶苦茶かなと思いつつ、登山の装備を揃える。インターネットはまだ普及していないので、自分の読書の記憶と地球の歩き方の本だけが頼り。装備の値段は、日本は装備について遅れていたので、ヨーロッパのほうが日本で買うよりも安いというのは知っていた。

ジブラルタル海峡を越え、修羅の国へ

船か飛行機か地中海を越えるにはどっちかだけれど、飛行機が往復3万ぐらいだったので即決。

95年3月25日 スペインバラハス空港からカサブランカへ

モロッコの予備知識としては、隣国アルジェリアとは仲が悪くて、砂漠地帯は扮装地で地雷があるという類。少しびびっておりました。

ついに来た地の果て

カサブランカからマラケシュを経て、氷点下の雪のトゥブカル山に登頂し、サハラへ。氷点下から40度の砂漠地帯に入るという変化の不思議を楽しみ、ようやく最終目的地へ。


95年4月14日 モロッコ出国

まとめ

最終目的地へ着いた僕が感じたのは、地に足が着いた自分の存在だった。砂漠の砂に足を取られつつも、大地を踏みしめる自分に自然との一体感を感じる。

自然は敵ではなく、自分も自然なのだと気付く。

全てが調和がとれた関係が取れれば最高だろうし、調和が取れなければ、最終的には滅びてしまうのではないかと考えています。

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