平成という時代の最後の3月。
暖かくなり春の訪れを感じずにはいられません。
ふと目にするいつもの散歩道から気づきを貰いました。お付き合いください。
私たちは何気なく道端の花を眺めています。
ごく当たり前のように。
しかし、「咲く」ということは本当に当たり前なんだろうか?
そうじゃないな!と思ってじっくり水仙を眺めてしまいました。
長い冬を必死に耐え
栄養を貯め
時を待ちに待ち
そして、いざとばかりに自分の咲き時に姿を現す。
私たちは花が咲くと知っているから、当たり前と思いがち。
しかし咲くことは当たり前ではないのでしょうか?
寒すぎれば絶滅することもあるだろうし、過去には地球規模ではそんなこともあったでしょう。
実際、あなたを花に置き換えた時に「咲く」ことはどうあてはまるでしょうか?
今までもいろいろな歌に人の人生を花に喩えたものがあります。
人は花に自らを重ねるのですね。
しかし、そう考えだした途端に咲くことの難しさを思い出すのです(笑)
僕も思い出しました。。
ゆめのたねの蒔き方
しかし、どうすればうまく咲くことができるのでしょうか?
何するにしてもアクションしないとはじまりません。
その点たんぽぽはうまくやりますよね。
天才です。
この数と360度どこでも飛ばすという柔軟性。
惚れ惚れします。
いきなりは咲きようがないですもんね。
こうしたいああしたいというゆめの種まき。
ひとつふたつだけなら多くは否定され、踏み潰され、この世から消えていきます。
もっとたくさんどばっといるのでしょうね。
ネタは多く戦略的にですね。
ゆめのたねの育て方
そして、飛ばしたゆめの種をいかに定着させるかです。
飛ばしたものの、咲くようにもっていかなければなりません。
しかしどうでしょう。
今の社会、種を植えたらすぐに咲くものだと思いやしませんか?
例えば、山の木の植林なんかは、自分の生きている間はなにもないですけど、子や孫の時代に土砂を防ぐ役目を果たしたり、木を使って家を建てるなどできるようになる。
そんな世代間をこえたものもあるだろうし、自分の代で成果につなげたいものもあるだろう。
しかし、花と人では生きるサイクルが違う。
人の場合は、腰を据えてやる必要があるのでしょう。
ゆめのたねの咲かせ方
未来はなにが起こるか分かりませんが、過去にはいろんな記録がある。
多くの偉人伝を読みますと、どんなに咲かせるまでの苦労したかが書かれていますので
一冊何か読まれると、我が身に置き換えられるので、ハッと気づかされます。
そんな気づきこそが大切なんじゃないかと思います。
簡単じゃなんですね。
ある意味競争ですから。
そういう中、
試行錯誤してもダメ
なにしてもダメ
何年かかってもダメ
これでもかこれでもかと食い下がる。
それでもと経験値をためて行くなかで、道が開け
もう咲いてもいいよという具合になるものではないでしょうか?
例えば人間国宝になるような人は、地方でコツコツと50年やってきたというような人が選ばれたりする。
自分では気づかなかった素晴らしさが世に認められた瞬間だ。
世の中、すぐさま成功を求める話がありますが、人というものはその人生をかけて花をさかせるものではないかと思うのです。
まとめ
咲くということは当たり前にできることではない。
長い冬を必死に耐え、栄養を貯め、時を待ちに待つ。
まずは想いの種を撒くことからか?
たんぽぽに学ぼう。
昔、吉永小百合さんがインタビューしたときに、「這い上がろうとしてもがいていた時が一番今から思えば楽しかった」と言っておられて、これがいつも僕の心には宝物としてあります。
そんな想いを書き記してみました。お役に立てれば幸いです。
ありがとうございました。