内地にいると気がつかないけれど、6月23日は沖縄慰霊の日。
74年前のこの日、多数の住民を巻き込んだ地上戦の末、旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日だ。
早速ご紹介しよう。
僕は20代の頃、よみうりテレビのクルーの一員としてドキュメントの撮影を沖縄で経験した。
那覇に泊まり、タクシーを貸し切りにして、沖縄中を取材して回ったのだ。
阿部さんというベテランの社員のデレクターがまた頭がキレる人で、取材対象の人との関わり方など本当に自分にとっては取材の勉強になった。
何が普通なのかよくわからないが、沖縄で旅行来れば海とか、首里城とかで帰るのだろうけど、何日も何日も住みながら取材するという、他の人にはありえない経験だけに僕にとっては忘れられないものだった。
沖縄といえば、それまでは高校の修学旅行で訪れていたり
大学時代にはテントに泊まりながら離島でスキューバダイビングしに来てはいたが
戦争のことは全く気にしていないというのが正直なところでした。
それが何度もこの島を訪れ
野球場で日の丸を燃やしたこと
米軍に先祖からの土地を接収されたこと
米軍が戦後住民に乱暴したこと
がまと言われる洞窟で泣き止まない赤ん坊の口を塞いだこと
ひめゆり学徒のこと
今の学校の校庭のすぐ真上を戦闘機が飛び交うこと
いろんな場所を訪れ
いろんな人の話を聞き
そうするなかでようやく事の重大さが全身で感じられるようになった。
人というのは、自分で経験しない限り気づきはしないと私は思っていて
自分では経験していないけれど、行った場所や資料や証言から追体験したことによるものだ。
ふと頭をよぎったのは、戦争を知っている世代も次々と亡くなっていっているわけです。
その中で、自分が取材に関わったということは、代わりに伝えるようにということなのかなと自分の中で解釈があったのでした。
おそらく、知れと言われて沖縄に行くのも、資料を読むのもハードルが高いでしょう。
しかし、こんなことがあったんだと知ってもらえればいいかなと考えています。
多くの人に届けば幸いです。
(ひめゆり平和記念資料館で購入した資料)
沖縄戦は一般市民を数多く巻き込んだ戦闘でした。
日本も航空機一万機を投入しても戦艦大和を投入してもどうにもならないと分かっていて続けた戦闘。
首相が降伏しようといっているのに止めなかった戦闘。
「がま」と言われる穴が沖縄には数多くあって、崩落の危険もあり、遺骨を拾えないのだそうだ。
ひめゆり部隊が取り上げられるが、多くの学徒も動員されていました。
機会があれば一度ひめゆりの塔やその記念館に行って、感じてみてください。
沖縄の人にすればまだ、米軍がいる以上は戦争が終わっていないと感じるそうです。
犠牲者数 沖縄平和資料館より
200,656人
〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕
日本 188,136人
(沖縄県出身者122,228人(一般人94,000人、軍人28,228人)
(他都道府県出身兵 65,908人)
米 12,520人