西暦400年〜1300年までの日本の巨大地震を調べてみました 南海トラフも5回発生 身を守るのは自分です。

地震の本を数冊読んでいて、過去はどうなっているんだろうと調べてみました。

この20年でもマグニチュード6以上は約300。

マグニチュード5は約2000。

マグニチュード4は約15000.

 

日本最初の地震

西暦416年8月23日。

これが日本の記録にある最古の地震。第十九代允恭天皇が住んでいた奈良県の遠飛鳥宮付近で日本書紀の記録によるもので、被害の記載まではないけれど、「地震」という字がすでに使われていたとか。

 

日本最古の地震の被害

西暦599年5月28日。

推古天皇の頃。マグニチュード7。

奈良地方の家々が倒壊と地震での被害の様子が書かれた最古の記録。

日本最古の津波の記録・南海トラフ①

西暦684年11月 29日。

天武天皇の頃。マグニチュード8。

土佐その他南海・東海・西海地方:山崩れ、河湧き、家屋社寺の倒潰、人畜の死傷多く、津波来襲して土佐の船多数沈没。南海トラフに関連する巨大地震。

日本最古の地震被災者救済か?

西暦762年6月9日

淳仁天皇の頃。

岐阜から長野辺りの地震。罹災者に対し1戸につき穀物2斛(約60リットル)を賜ったとの記録。

 

三陸沖巨大地震①

西暦869年7月13日

清和天皇の頃。マグニチュード8

城郭・倉庫・門櫓・垣壁など崩れ落ち倒潰するもの無数。津波が多賀城下を襲い、溺死約1千。流光昼のごとく隠映すという。

9世紀には大きな地震・噴火が頻発しており、これらは『日本三代実録』に収録されている。

 

南海トラフ②

西暦887年8月26日

光孝天皇の頃。マグニチュード9クラス

五畿・七道:京都で民家・官舎の倒潰多く、圧死多数。津波が沿岸を襲い溺死多数、特に摂津で津波の被害が大きかった。

京都では2時間地震が続くなどの記録がある。

 

南海トラフ③

西暦1096年12月17日

後一条天皇の頃。マグニチュード8以上

畿内・東海道:大極殿小破、東大寺の巨鐘落ちる。

京都の諸寺に被害があった。近江の勢多橋落ちる。

津波が伊勢・駿河を襲い、駿河で社寺・民家の流失400余。余震が多かった。

 

鎌倉大地震

西暦1293年 5月27日

伏見天皇の頃。マグニチュード7

鎌倉強震、建長寺ほとんど炎上のほか、諸寺に被害。死数千あるいは2万3千余。

余震が多かった。この日、越後魚沼郡で山崩れあり死多数。

 

南海トラフ④

西暦1360年 11月 22日

後村上天皇(南朝)

後光厳天皇(北朝)マグニチュード8

紀伊・摂津:4日に大震、5日に再震、6日の六ツ時過ぎに津波が熊野尾鷲から摂津兵庫まで来襲し、人馬牛の死が多かった。

 

 

南海トラフ⑤

西暦1361年 8月3日

後村上天皇(南朝)

後光厳天皇(北朝)マグニチュード8以上

畿内・土佐・阿波:摂津四天王寺の金堂転倒し、圧死5。その他、諸寺諸堂に被害が多かった。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流失1700戸、流死60余

『太平記』には「山は崩て谷を埋み、海は傾て陸地に成しかば、神社仏閣倒れ破れ、牛馬人民の死傷する事、幾千萬と云数を知ず」と記述されている。

鳴戸では三四日前に海が干上がり、地震前後に数時間に亘って地鳴りが響き渡り、地震による地殻変動と思われる現象で再び没して海に戻った様子が比喩的に表現されている。また6月22日の地震(前震)の日は盛夏にも関わらず冬至前後の様な寒さで雪が降りだしたことが記録されている。この夏雪の記事は当時の公卿の日記には見られないが、『高野春秋』に「辛丑六月廿二日、俄大雪降積」とあり高野山では降雪があった可能性があるとされる

 

○日本地震学会の資料を元に書いています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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