明治以降の日本は、もしかすると吉田松陰の筋書き通りにあるのかもしれません。
松下村塾の塾生は、明治維新のあと何人もが首相となり松陰が獄で書いた構想をそのまま実行していきます。
本を読み、松陰とその周りの人がどう考えたか、知れば知るほど興味深いものがあります。
萩の松下村塾や黒船密航の伊豆下田も行きましたが、本で読むだけでなく、現地で感じるというのはまた深いものがあります。
そして、松陰最後の場所、安政の大獄で刑死する場所も感じてみたいと、ちょうど用事で東京に行くことがあったので行ってきました。
牢屋や刑場のあったこの場所は、公園になっていて、実際の刑を執行する場所は、お寺の敷地となり、慰霊碑が建てられていました。
享年30歳。
松陰はなんといっても、類まれなる教育者としての資質が素晴らしい。
塾生から何人も総理大臣を輩出。
当時危険分子と各地の獄に繋がれるのですけれど、その獄の中でさえ教育をはじめ、囚人や見回りの侍たちを次々と感化させていきます。
そして松陰に導かれるように、変わっていくから不思議です。
とても圧倒的に人間力があり、包み込むような教育者だった。
人は、窮地に陥ると動けなくなりますが、窮地になっても尚行動する。
まさに陽明学の思想を体現した。
普通じゃできない。だからこそ、松陰先生と今も慕われているのでしょうし、私もその一人だということです。
松蔭先生終焉の地
ごく普通の公園で、近所の人が犬のさんぽに来てたりと、安政の大獄で全国を震え上がらせた場所とは思えませんでした。
発掘したときの様子
昔の遺構があるとイメージしやすいです。
行ったのは11月上旬でした。
赤い字というのが演出効果で怖く見えますね。
刑場の供養塔。
山岡鉄舟の筆による文字もあります。
松蔭の半生が書かれています。
牢屋の説明です。
ずっと行きたくて、どんな場なのか気になっていたので、僕としてはとてもスッキリ。
駅の出口にあるのでとても便利な場所にありますよ。