地震の避難所で顔が見えないのは嫌だと間仕切りをさせなかった地域に日本の光明を見る

今まで大きな地震が来た時に、避難所などに身を寄せている人々をにはプライバシーを考慮して、パーテーションや間仕切りがしている様子をメデイアを通して見ていました。

また、僕自身、阪神淡路大震災の報道取材に関わった時に見た兵庫県のどの避難所も、同じように間仕切りがされていたのを思い出します。

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地震発生後の被災者の生活環境対策 – 内閣府防災担当より

しかし、間仕切りやパーテーションが不要だと、設置されたあとに撤去の要望をしたところがあったと聞いて、驚きと共に、素晴らしいと感じた。

今の御時世、なんでもかんでも配慮配慮なので、少々神経質すぎると個人的には思っている。

少し歴史を遡ろう。

日本人は古来から一つの集団で生きてきた。

例えば京都の上賀茂下鴨神社の辺りには鴨一族

奈良で言えば、大和三山があって山の一つ一つに一族が住んできた。

言わば、そんな感じだったわけです。

そこが最初なのです。

 

それが、今は一族というものはバラバラに住むのが普通で、合うのも困難なのではないだろうか?

人々は分厚くプライバシーに配慮した間仕切りの建物に進んで入り、互いの顔も分からない暮らしをしている。

その間仕切りの暮らしを、災害時にもそのままもっていこうとし、それが当たり前との空気感が漂っている。

どうでしょう?というのが僕からの問です。

 

そんな中、パーテーションを撤去した所があるというのは、これから日本が進むべき方向性を示してくれているのではないかと思うのです。

これから、超高齢化社会を迎える中、顔も分からなければ、知らないのだから近所で何があっても助けようがない。

さらに言えば、会社でも繋がりが薄いところが多いのではないか?

実際、会社の中は今、関わるとパワハラだセクハラだと言われかねない風潮に何もできないでいるところも多い。

 

今一度、会社、社会、家庭も含めて人との関係のあり方を問われている気がしてなりません。