奇跡の龍のエネルギー竹生島

滋賀県にあります竹生島についてご紹介させていただこうと思います。

こちらはなんと琵琶湖の真ん中に浮かぶ島。

まさに神秘の島というような場所なんです。

この島は住んでいる人は宿直の住職以外はおりません。

皆、船で来て船で帰ります。

抜け殻のように来た人も、龍神さまの力かはわかりませんが、不思議とみんな帰るときには笑顔になれる。

なかなか訪れることもできない場所ですから、一度このウエブ上でご縁を結んでいただき

今度はご自分の目で、ご縁を結びに来ていただきたい。

それでは、先に進んでいきましょう。

竹生島について

以下はウィキペディア参照

竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部に浮かぶ

全域が滋賀県長浜市の早崎町に属する琵琶湖では2番目に大きい島

琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されていて、2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定されています。

竹生島の歴史

古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる。

南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。ちなみに、竹生島弁才天は江島神社 (神奈川県 江の島)・ 厳島神社 (広島県 厳島)と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。

戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。琵琶湖沿岸を本拠地とした織田信長が参詣したことが記録されているほか、宝厳寺は豊臣秀吉とのゆかりが深い。

竹生島のアクセスは船

今津港と彦根と長浜などから船が出ています。

湖が荒れていると欠航することもあります。

竹生島神社

都久夫須麻神社(つくぶすま じんじゃ)とも言い御神体は竹生島そのものです。

神仏習合時代(本地垂迹時代)には、同島の宝厳寺と習合して、竹生島弁才天社/竹生島弁財天社( – べんざいてんしゃ)、竹生島権現( – ごんげん)、竹生島明神( – みょうじん)などと呼ばれていた。

往時も今も「日本三大弁才天(日本三弁天)」の一つに数えられる。

また、あまり知られていないが、「日本五大弁才天(日本五弁天)」の一つに数えられる。

八大竜王とは

八大竜王(はちだいりゅうおう)は、天龍八部衆に所属する竜族の八王。

法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。

 霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。

釈迦は「妙法蓮華経」の第二十五 観世音菩薩普門品に遺されているように「観音菩薩の御働き」を説いた。

その結果、「覚り」を超える「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)、無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」を得て、護法の神となるに至った。

どうぞみなさまご参拝くださいませ。

宝厳寺(ほうげんじ)

宝厳寺は奈良時代、僧・行基が開創したとされています。

行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。

宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命(あざいひめのみこと)を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ、大弁才天を祀ったのが起源とされている。

当初は寺名を本業寺(ほんごうじ)といい、東大寺の支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。以降、島は天台宗の僧の修行の場となった。

境内の隣にあった都久夫須麻神社は延喜式神名帳にある通り、浅井姫命を祭神とする近江国浅井郡の神社であったが、浅井姫命は浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する水の神ともいわれることから、平安時代末期頃にはこの神は、仏教の水の神である弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになっていくと、ついには弁才天と同一とされる市杵島比売命も祀るようになり、神仏習合が進んで都久夫須麻神社は当寺と一体化していった。

竹生島棒術ホームページ

調べてみますと

竹生島流棒術の流祖は難波平治光閑という人で、琵琶湖の竹生島弁財天を信心し、長刀一流を夢想奉得した。

今から八百余年前(寿永三年頃)の源平合戦に出て、その長刀でよく働きを極めたが、戦いの最中に長刀の込本から折れ、柄ばかりになりながらも、その残った柄を長刀の手で使い大勢を討ち取ったという。

これから棒を編み出した。これはひとえに弁財天の冥恩であるとして、竹生島流棒術と名付けられた。

どうぞみなさまご参拝くださいませ

最後までご覧いただきありがとうございます。

小さい島なんですけど、盛りだくさんの島でもあります。

みなさまぜひ一度はお越しいただいて、ご縁を結んでいただけるとよろしいのではないかと考えております。