明智光秀一族の菩提寺 滋賀県大津市 西教寺

大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀が信長に仕えていたときの居城坂本城。

その表門が移築されたのが西教寺で、ここに一族が眠っております。

今回は案内板を中心に撮ってきたので、参考になさってくださいね。

西教寺御由緒

聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建。

その後、久しく荒廃したが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。

恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に繁栄。

鎌倉時代の正中2年(1325)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。以来全国に約四百余りの末寺を有する総本山となりました。

滋賀県の南半分が見えるところに西教寺はあります。

これが坂本城からの移築と言われている門。

当時のものではなくて修理されてあるそうです。

山門から順に撮っております。

勅使門

天皇は基本的に外出をしませんので、天皇の代わりに天皇の意思を伝える勅使という仕事がありました。

勅使は天皇の尊い意思を持ってくる人だから、勅使を迎える人は天皇と同等に勅使をもてなさないといけませんでした。


そこで勅使を迎えるお寺は、普通の人が通る門とは別に天皇や勅使だけが通る立派な門を造りました。


現在も私達のような観光客はお寺の境内にある勅使門を通ることができません。

羅漢とは、仏教において最高の悟りを得た、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。この境地に達すると迷いの輪廻から脱して涅槃に至ることができるという。

以上が大本坊。

京都にあったお寺を兼務されてるようです。

工事中でした。

10月12日での色づき具合。

本堂

平安時代の中頃から浄土信仰が盛んになります。

二十五菩薩は、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来とともに迎えに来る菩薩の一団です。

真盛は、戦国時代の天台宗の僧。

諡号は円戒国師・慈摂大師。

伊勢国一志郡仰木 の出身で、父は小泉左近尉藤能。天台宗真盛派の祖。

比叡山西塔の慶秀に師事し、天台宗の教学を学んだ。

その後、同所にある黒谷青龍寺に隠遁し、「往生要集」に拠り称名念仏を唱えた。

再び本堂

山門を入って正面に6体の地蔵菩薩に出会います。6体の地蔵尊は、あわせて「六地蔵」といいます。六地蔵は、ほかのお寺でも、墓地の入口付近にあるものです。というのは、命あるものは死後に六道という六つの世界のどこかに生まれると伝えられており、それぞれの世界で地蔵菩薩は人々を守護するとされるからです。

天文年間作成のお地蔵様。1532年から1555年の間に作られたのが年号が書いてあるのでわかりますね。

以上、サラッとご紹介させていただきました。

観光や知識の収集にご活用くださいね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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学生時代から30年で約30カ国バックパッカーとして旅し、

20年以上テレビ撮影で47都道府県を走り、

お遍路など9回巡礼

冬山遭難し事故で5回死にかけ、

労基署、ストレングスコーチ、社労士として10年で1万人の話を聞き、

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