死ぬまでに一度は行きたい巡礼の道

世界にはいくつか巡礼路がある。

若い頃は全く宗教なんてものには関心がなかったのだが

世の中がバブル崩壊か地震、台風に津波と

常ならぬことを知ると

昔の人たちがいかに世の中を不安に感じ

信仰に頼ったのか分かるような気がしてきました。

もう、人生半ば付近にさしかかり

いつまでまともに歩けるかわからないことを考えると

人生を終わりから考えた方が、充実するのではないかと考えている。

これまでも随分世界をめぐってきた。

初海外でイタリアの地を踏んで以来、約30カ国。

国内はテレビの撮影などで全都道府県は訪れている。

そんな中で、今後死ぬまでに行きたいと考えている場所を中心に書いていこうと思います。

四国八十八か所

四国八十八か所霊場会公式H.P

お遍路とは

古来、四国は国の中心地から遠く離れた地であり、様々な修行の場でありました。讃岐でご生誕されたお大師さま(弘法大師・空海)もたびたびこの地でご修行をされ、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創されたと伝えられております。そのお大師さまの御跡である八十八ヶ所霊場を巡礼することが遍路です。当初の遍路は、修行僧などが中心でした。その後、お大師さまに対する人々の信仰(弘法大師信仰)の高まりと共に、日本全国から多くの方が遍路されたといわれております。そして、お大師さまのゆかりの地として、誰しもが一度は訪れたい霊場として発展していきました。(公式ホームページより)

日本で何と言っても有名なのはお遍路でしょう。

わたしも一度巡礼満願しております。

車遍路で約10日かかりました。

徒歩ならひと月以上かかると言われています。

途中は、わたしが巡礼した時は雪も降り過酷なコンディションもあり

一方では、高知の室戸岬ではTシャツで十分という

様々な気候条件に対応できることが必要です。

西国三十三所

西国三十三所観音霊場公式H.P

西国三十三箇所とは

養老2年(718)、大和長谷寺の開山徳道上人は、病にかかって仮死状態になった際、冥土で閻魔大王と出会います。閻魔大王は、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、三十三の観音霊場を開き、観音菩薩の慈悲の心に触れる巡礼を勧めなさいと、起請文と三十三の宝印を授けました。現世に戻った徳道上人は、閻魔大王より選ばれた三十三の観音霊場の礎を築かれましたが、当時の人々には受け入れられず、三十三の宝印を中山寺の石櫃に納められました。

それから約270年後、途絶えていた観音巡礼が、花山法皇によって再興されます。花山法皇は、先帝円融天皇より帝位を譲られ、第65代花山天皇となられますが、わずか2年で皇位を退き、19歳の若さで法皇となられました。比叡山で修行をした後、書寫山の性空上人、河内石川寺の仏眼上人、中山寺の弁光上人を伴い那智山で修行。観音霊場を巡拝され、西国三十三所観音巡礼を再興されました。(公式ホームページより)

近畿の和歌山の青岸渡寺からスタートし、岐阜の華厳寺までの道。

私はこちらを何度か満願し、大先達という称号を札所会からいただいています。

西国三十三所をめぐる本 (えるまがMOOK) 

熊野古道

熊野本宮観光協会

熊野古道伊勢路ナビ

熊野古道新宮市観光協会

熊野古道田辺市熊野ツーリズムビュロー

熊野古道とは

熊野古道の特色は、中世期に日本最大の霊場として隆盛した熊野信仰という一貫した目的のために、1000年以上も使われ続けてきたことである[1]。近世になって、日本最大の霊場としての地位を伊勢神宮にとって代わられてからは、西国三十三所観音巡礼のひとつに姿を変えるようになったが、純粋な徒歩参詣道として熊野古道が残ったため、現在でも独自の形で賑わいを見せている

熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であった。熊野三山は、天皇から貴族、庶民に至るまであらゆる階層の人々の信仰を集め、皇室で参拝したのは、平安時代中期の延喜7年(908年)に行われた宇多法皇の熊野御幸が最初と言われる。熊野御幸とは、上皇の熊野詣のことで、弘安4年(1281年)の亀山上皇の熊野御幸まで、その期間は374年間、94回行われた。

11世紀から12世紀にわたり、院政期の上皇方が熊野詣でを繰り返すようになった。熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野御幸からと言われている。白河上皇はその後あわせて9回の熊野御幸を行った。これにより、上皇や法皇に伴われて皇后などの女院方や貴族が同行するようになり活況を呈し、後に京都の貴族の間で単独で熊野詣が行われるようになった。その後、後白河上皇33回の熊野御幸を行っている。鎌倉時代の建仁元年(1201年)に後鳥羽上皇の熊野御幸に随行した藤原定家の日記によれば、旅は原則徒歩で移動し、荷物は伝馬で運ばせ、それらによって道が整備されていったという当時の様子について記されている。この時代は、源氏や平氏にも信仰され、平安・鎌倉時代の僧侶であった一遍や文覚も参詣した。源頼朝の妻・北条政子も鎌倉から上洛する機会を利用して、熊野参詣を2回行っている。さらに承久の乱(1221年)以後は、地方武士の参詣者も出るようになった[5]

また、主に12世紀から13世紀にかけて九十九王子が設けられた。これは、熊野古道(特に紀伊路、中辺路)の大阪の基点であった淀川河口の渡辺津(窪津、九品津)から熊野三山までに、100近くの熊野権現を祭祀した末社である。参詣者は、九十九王子で休憩しながら熊野三山まで歩いた。現存するものは少ない。

1906年(明治39年)末に布告された「神社合祀令」により熊野古道周辺の神社の数は激減。熊野詣の風習も殆どなくなってしまった。

(ウィキペディア引用)

わたしは熊野古道は落語のDVDを作成のために何日も泊まり込んで訪れています。

場の空気がとてつもないという感想。

純粋に歩いてはいないのですけど、とても素晴らしい巡礼路だと感じています。

歩いて旅する熊野古道・高野・吉野

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スペイン サンティアゴ巡礼

日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会

サンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の三大巡礼地に数えられている。フランスでは、「トゥールの道」、「リモージュの道」、「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」の主要な4つの道がスペインに向かっている。スペインでは、ナバラ州からカスティーリャ・イ・レオン州の北部を西に横切り、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう「フランスの道」が主要である。

スペイン語では、El Camino de Santiago(サンティアゴの道)と呼ばれ、また、定冠詞を付けた大文字で始まるEl Camino(その道)はサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路を表す。フランス語ではle chemin de Saint Jacques(サン・ジャックの道)と呼ばれる。

1000年以上の歴史を持つ聖地への道は、今も年間およそ10万人がフランスからピレネー山脈を越えてゆく。スペインに入ると、巡礼の拠点の街が見えてくる。そこには巡礼事務所があり、名前を登録し、巡礼者の証明となる手帳を受け取る。巡礼者の数が増えると共に、道沿いには無料の宿泊所が整備されてきた。11世紀の礼拝堂を修復した宿泊所などもあり、こちらの宿では中世さながらの「洗足の儀式」が行われる。巡礼者の足を水で清め、旅の無事を祈る。食事も用意される。これらは巡礼を支える人々の無償の奉仕で成り立っている。徒歩によるスペイン横断は、イベリア半島内でもおよそ 800kmの道程である。長い巡礼を続けることは、人々にとって信仰と向き合う貴重な時間となる。

大聖堂の5km手前にある「モンテ・デル・ゴソ(歓喜の丘)」

巡礼者はここで初めて美しい聖地の姿を眼にする。徒歩でおよそ一月の道程。大聖堂に到着した巡礼者は、「栄光の門」と呼ばれた入り口に向かう。そこには幾千万もの巡礼者がもたれるように祈りを捧げてきた柱がある。手のくぼみのあとが歴史を物語っている。

(ウィキペディアから引用)

日本のお遍路同様の接待の文化が興味をひく。

同時に日程も一ヶ月というお遍路と同じ感じというのが、日本とスペインの距離や歴史を越えた繋がりのようなものを感じさせてくれる。

スペイン サンティアゴ巡礼の道

アメリカのロングトレイル パシフィッククレストトレイル

Pacific Crest Trail Association 

メキシコからカナダまで縦断するルート。

ウィキペディアによると、この種のアメリカ自然歩道の全区間を1シーズン内に歩き切ることをスルーハイキング(thru-hiking)と呼ぶのだそうだ。毎年、おおよそ300人ほどの人々が、トレイルを最初から最後まで全区間を歩くことに挑戦。この挑戦者たちをスルーハイカー(thru-hiker)と呼ぶ。この旅には4ヶ月から6ヶ月を要し、成功を収めるのは6割ほど。ほとんどのスルーハイカーは、メキシコ国境から出発し、初雪が降る前に北端に到着することを目指す。途上の食糧補給のために、道沿いの町に郵便などで荷物を送るのが普通である。

PCTの最初のスルーハイキングに成功したのは、1970年、18歳のエリック・ライバック(Eric Ryback)とされている。しかし、この業績には不正が行われたのではないかという疑惑がもたれており、今日でも議論の的なのだとか。

PCTのスルーハイキングを成し遂げた、確実に確認された最初の人物は、リチャード・ワトソン(Richard Watsoon)である。ワトソンはまた、北向きの行程を最初にとったスルーハイカーでもある。ワトソンは1972年9月1日、スルーハイキングを達成した。スルーハイキングを達成した最初の女性はメアリー・カーステンズ(Mary Carstens)(1972年)。

PCTの全区間を南北両方向で一度でスルーハイキングした最初の人物は、スコット・ウイリアムソン(Scott Williamson)である。 ウイリアムソンは、2004年11月、4度目の挑戦にしてついに成功を収めた。ウイリアムソンは197日間に約8528キロメートル(5300マイル)を踏破したが、これは1日平均56~64キロメートル(35~40マイル)を歩いたことになる。

また、映画で「わたしに会うまでの1600キロ」というここを踏破した女性の話がある。

アメリカのロングトレイル アパラチアン・トレイル


Appalachian Trail Conservancy

ウィキペディアによるとアメリカ東部のジョージア州からメイン州にかけての14州にまたがる約3,500kmの長距離自然歩道コンチネンタル・ディバイド・トレイル(Continental Divide Trail)、パシフィック・クレスト・トレイル(Pacific Crest Trail)と並ぶ、アメリカにおける三大長距離自然歩道のひとつであり、1968年に初めてのナショナル・シーニック・トレイル(National Scenic Trail)に指定されている。

トレイルのコースはほぼアパラチア山脈の嶺に沿っており、グレートスモーキー山脈や、ブルーリッジ山脈等のアパラチア山脈を構成する山脈や、グレート・スモーキー山脈国立公園(テネシー州)、シェナンドー国立公園(バージニア州)等の国立公園、州立公園が含まれる。

アパラチアン・トレイルの全区間が最初に踏破されたのは1937年である。

現在では、毎年、約2,000人がスルー・ハイキング(thru-hiking、トレイルの全区間を1シーズン内に踏破すること)に挑戦する。多くのスルー・ハイカーは、雪の残る北部を避け、春に南端のジョージア州スプリンガー山を出発し、メイン州のバクスター州立公園(Baxter State Park)が閉鎖される10月15日までに北端のカタディン山のゴールをめざす。しかし、成功するのは挑戦者のうちわずか10%ほどにすぎない。

要した期間にかかわらず、全区間を踏破した者は、総延長が2,000マイル余りであることに因んで2000 Milerと呼ばれる。踏破を目的としない者も含めたアパラチアン・トレイルへの年間訪問者は約400万人に及ぶ。

The Trail Is the Teacher: Living and Learning on the Appalachian Trail

アメリカのロングトレイル コンチネンタル・ディバイド・トレイル

Continental Divide Trail Societyhttp://www.cdtsociety.org/index.html

ウィキペディアによるとコンチネンタル・ディバイド・トレイル(Continental Divide Trail、正式名称:Continental Divide National Scenic Trail、略称:CDT)は、メキシコとカナダの間の3,100マイル (5,000 km)に及ぶアメリカ合衆国の国立自然歩道である。コンチネンタル・ディバイドとは、アメリカ大陸の分水嶺を意味する。このトレイルは、ロッキー山脈に沿った北米大陸の分水嶺をたどり、モンタナ州、アイダホ州、ワイオミング州、コロラド州、ニューメキシコ州の5つの州を通過する。モンタナ州では、トリプル・ディバイド峠(ハドソン湾、大西洋、太平洋の3つの分水嶺である トリプル・ディバイド・ピークの近く)を通る。このトレイルは専用歩道と小さな道路の組み合わせからなり、70%程度が整備されている。未整備の部分は、未舗装または舗装道路を歩いて移動する必要がある。このトレイルの北端には、グレート・ディバイド・トレイルが接続しており、カナダ北部のジャスパー国立公園のカクワ湖まで進むことも可能である。

アメリカのロングトレイル ジョンミュアートレイル

National ParkCalifornia

ウィキペディアによるとジョン・ミューア・トレイルは、カリフォルニア州内のいくつかの国立公園と国有林を通り抜けて行く。行程はおよそ340キロメートル。それらを挙げると、ヨセミテ国立公園、キングズ・キャニオン国立公園 、セコイア国立公園 、インヨー国有林  であり、これらにはジョン・ミューア・ウィルダネスおよびアンセル・アダムズ・ウィルダネスが含まれている。。また、トレイルの北限はヨセミテ渓谷、南限はマウント・ホイットニーの山頂である。

ミューアの死去(1915年)後、カリフォルニア州議会の承認を得て、1万ドルの予算ではじめられたトレイルの整備は、1938年、マザー峠周辺の整備によって完結した。

まとめ

一度まとめたいと思っていて念願が叶いました。

お遍路、西国巡礼、熊野古道、サンティアゴ巡礼、パシフィッククレストトレイル、アパラチアン・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイル、ジョンミュアートレイル

どれも魅力溢れる道であることには違いはありません。

生まれてきたからには、体を使って生きてる喜びを感じながら旅をしてみたい。

きっと人生観が変わることでしょうね。