司馬遼太郎記念館訪問 蔵書4万冊 その凄さを改めて感じました

 

2月12日は作家司馬遼太郎氏の命日。

それに合わせて東大阪市にある司馬遼太郎記念館を訪問。

司馬さんの作品は結構というか、めちゃめちゃ読んでいる大ファンの1人の私。

日本人のかなりの人が影響を受けているのではないでしょうか。

司馬史観と、歴史家達はあれは違うと言うが、難しい歴史をかくも躍動感を持って他に誰が描けるか。

10代から20代という多感な時期に司馬作品と出会えたことはラッキーだったと思っています。

文庫本片手にいろんな国に行っては、海外から日本を眺める。

そんなことをよくやっていました。

その本拠地であり、聖地でもある場所の訪問。

さっそくご紹介しよう。

司馬遼太郎記念館 基本情報

  • 施設名 司馬遼太郎記念館
  • 創立 2001年
  • 住所 大阪府東大阪市下小阪3丁目11番18号
  • 電話 06-6726-3860
  • 入場料 大人500円、高・中学生300円、小学生200円
  • 駐車場 乗用車が5 台駐車可能(うち身体障害者用1 台)。無料。
  • ウエブサイト 司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎記念館 地図とアクセス

 

 

近鉄奈良線「八戸ノ里駅」下車 徒歩約8分

近鉄奈良線「河内小阪駅」下車 徒歩約12分

 

司馬遼太郎記念館 訪問レポート 2019年2月

 

当日の様子

 

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やってきました司馬さんのお宅。

表札見ただけで感動してしまった。

 

実は駅前すぐの商店街のアーケードも司馬遼太郎一色。

この町全体が誇りを持っているように感じた。

 

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まずは司馬さんも見た自宅の庭を眺めることができます。

ここは玄関で、ここから日々取材に出かけられたのでしょうね。

 

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奥に進むと、好きだった菜の花に囲まれるように仕事場がありました。

見てくださいよあの本。

椅子。

まさにまだいらっしゃるかのような感じがします。

 

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72歳の生涯を終えるその日まで、街道をゆくシリーズ書いていたという室内は当時のまま。

 

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「竜馬がゆく」を読みながらきたので感慨深い。

里帰りだなぁと思った。

 

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そして記念館に入ります。

写真撮影はここまでで、この先は撮れません。

 

 

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これはパンフレットの写真なんですけど、すごいでしょ。

まさに圧倒されました。

 

およそ4万冊もの蔵書があり、当時は家の廊下も玄関も本棚にしていたとか。

そして、執筆時には専用本棚に移し、およそ700冊程度の書籍を参考に書いていた。

大学のレポートでも参考図書数冊だったことを思えば凄まじいさを感じますね。

天才ですよね。

ふと思い出したのが、司馬遼太郎と共に尊敬するのが第二次世界大戦の英雄イギリス首相ウィンストン・チャーチル。

彼は5000冊の本を読み8万冊を所有していた。

二人の共通点は、表現の天才だ。

やはり、多くの本との出会いは大事なんだと実感しました。

 

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最後に、これは近所の公園にあった司馬遼太郎から小学生に向けたメッセージ。

これが素晴らしい。

もう亡くなって数年たちますけれど、一つも色あせていない。

新しい年号、新しい時代を迎える今、読んでじっくり内省したい言葉。

 


二十一世紀に生きる君たちへ 司馬遼太郎

私は、歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、 「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさはーーもし君たちさえそう望むならおすそ分けしてあげたいほどである。

ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。

私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない。
君たちは、ちがう。二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。

もっとも、私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は、ーーくり返すようだがーー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
ーー人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。

二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。

同時に、人間は決しておろかではない。

思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右の述べたように、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
ーー自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
二十一世紀においては、特にそのことが重要である。
二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。

自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。

人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。
君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

まとめ

司馬遼太郎ファンはぜひ行ってみてください。

これをきっかけにハマることまちがいないですよ。