奉公人は休みなし!?三方よしで有名な近江商人のから日本人の仕事観がよくわかる

いつもありがとうございます。ストレングスコーチ青山です。

今回も学習欲と収集心で解説していきます。

日本全国を渡り歩いた近江商人。

というか昔の人は、どんな感じで働いていたのでしょうか?

考えたことあります?

地元なのでコツコツ調べています。

早速ご紹介しよう。

近江商人とは

近江商人とは、近江で商いを行う商人ではなく、近江を本店として他国で行商などの商売をする商人の総称です。

近江の日野、五個荘、八幡、高島などの今の滋賀県の出身であったために、外部の人たちが近江商人と呼ぶようになりました。

これらの商人は同じ時期に活動していたわけでもなく、時代も主たる商いの場所もバラバラなのですが、人々から愛されるような商いをしたという点で、今にも残る三方よしの言葉通り、共通していたことだったのです。

労働基準法

そして労働基準法。

日本の働き方は、明治になり富国強兵など急速なスピードで人を酷使するようになり、女工哀史のような悲劇が全国で広がります。

その反省から整備されてきた労働基準法。

今は、休みもしっかり決められている。

画像は厚生労働省の年次有給休暇のリーフレットです。

こうやって、広く周知して知らしめているのです。

しかし、以前労働基準監督署に勤務していた時、「うちは年休ないねん」と真顔で言い切った会社の社長と話したことがありますが、労働者なら有給休暇はあるもの。

法律で決められています。

しかし、その昔はどうだったのでしょうか?

というのが今回のテーマ。

言われると気になりますよね。

近江商人の働き方

繰り返しますが、近江商人は本店は地元、そして支店は各地にとし、本店で採用した者を教育訓練したあと、支店に送り出していきました。

各地の支店は従業員全員が近江出身の男で構成。

全員住み込みによる集団生活が原則だったとか。

身元の確かな子供を訓練して、一人前になったら前線に送り出す。

こんなふうにして、働く仕組みを作っていたのだそうです。

「結」団結する仕組み

backlit dawn foggy friendship
Photo by Helena Lopes on Pexels.com

こう見ると、同じ出身で固めるというところなんか華僑みたいだなという印象がありますね。

しかし、見知らぬ土地で生活するのに、地元が同じというのは気心が知れていいですよね。

それでいて日々生活を共にしていくことで、お店が故郷になり、より団結が強固になっていく。

故郷に錦を飾ろうと励まし合うこともあったでしょうね。

まさに支店は、日々成長していくシステムだった。

近江商人丁稚の採用

滋賀にはいろんな近江商人の旧家がそのまま保存されていて、見学もできるので、実際に訪れて雰囲気も味わって欲しい。

案内も地元の方がしてくれて、とても詳しく教えてくれます。

聞いたところでは、丁稚は12~13才で採用。

「奉公人請状」という誓約書と身元引き受けを兼ねた証文を雇い主に提出。

本採用になれば、店での呼び名をつけて、本店で訓練。

女将さんが本店を仕切っているので、本店学校の先生だ。

ここで鍛えに鍛えられて数年過ごし、出先へ配属ということなのだそうだ。

中には落第すれば、追い返されることもあったから、地元同士で競争させていたのでしょうね。

近江商人の休日

歌川広重「伊勢参宮・宮川の渡し」ウィキペディアより

それでは今回のメインな話。

一生に一度は行きたいと言われたお伊勢詣り。

一生に一度?

僕らなんか夏季休暇とか、大抵ありますからいつでもいけますよね。

昔はどうだったのでしょうか?

ときは労働基準法もない時代。

調べてみると近江商人の間では一定のルールがあったようですね。

寺子屋ウィキペディアより

まず6歳頃から寺子屋に入門して学びます。

そして、10歳ごろにお店に入り、主人たちの子供の世話やお使い、掃除をやります。

このように入店して数年は雑務をこなします。

入店五年目ほどになれば、「初登り」という親元への帰省が許されますが、ここで一旦退職扱いになり、再び勤めが認められなければお店には戻れません。

この帰省は、一度退職の形をとるので、認められなければ戻れないものでもあったのだとか。

まあまあ厳しいですね。

再び勤務できるようになれば、丁稚から手代となり15、16になれば元服式。

この再勤務からようやく給金が出るようになります。

さらに手代を三年ほど経ると、「中登り」。

そして、30歳前後で、ようやく番頭さんになる。

この番頭になって初めて毎年帰省できるようになるのだが、それまでは原則戻れない。

そういうわけで、最終的には番頭になってようやく50日もの故郷に戻るための休暇がもらえる。それまでは許可なく自由にはできないということ。

いかがでしたでしょうか。

有給休暇のマックスは法律では年間20日ですけど、昔は最大50日。

会社独自で決めてらっしゃるところは、50日というところもあるかもしれませんね。

性質は違うものでしょうが、比較すると面白いものですね。

まとめ

日本人の労働観について色々本を読んだり、こうやって昔の働き方を調べたりしてきましたが、日本人は常に働いているんです。

西洋はキリスト教の影響で安息日があり、イスラム圏はラマダンがあります。

これらの日は不就労日として、休まないといけないのが、日本人の神様は古事記でもいつも忙しく働いているのです。

これはきっと、雨の多い地域ならではの事情もあると思われます。

日本の場合は、雨が多いので、建設業でも雨が降れば中止とか、あとは台風がきて休みになるとかありますよね。

だから普段は働こうということが広まったのかなと考えています。

しかし、番頭にならないと自由に帰省もできないって、どう思います?

ご意見ご感想お待ちしております。

最後までお読みいただきありがとうございました。

近江商人についてもう一本いかがですか?

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