ちょうど二年という区切りで中断していたブログ。
二ヶ月丸々書いていなかったのですけど、
その分、本も読めましたし、違う取り組みもできた有意義な時間でした。
再開するにあたり、いろんな本から読み込んできた日本の思想の流れをまとめてみました。
今年はガンガン読んでいて、実質400冊は読んでいて、この乱世を見極めるには土台がないと考えていて、この3年で2000冊はいかなくても、その辺りまでいっていると思います。
なにせ、正しいかどうかなんて、専門分野以外は大抵分かってません。
テレビのコメンテイターなどに適当なこと言われてふんふんと納得しているのが、現状だと思うのですけど、やはり無視はできないと読みに読みました。
そこで、気づいた日本の思想の流れ。
私達はこの流れの中にあるわけで、大体の流れを掴めば人の考えも理解できるだろうというところです。
日本の思想の流れ
世界中イスラム、ギリシャ、キリストいろんな思想がぐるんぐるんと影響しあってきました。
日本は古来からある神道、中国の孔子孟子たちの儒学、そしてインドの釈迦の仏教と、この三本柱で流れてきました。
では順に説明しますね。
国を平和にしたいと仏教輸入
まず、飛鳥奈良時代の欽明天皇の時に大和川を遡ってインド発祥の仏教伝来。
同じ頃に中国から儒学も来ているようです。
奈良の桜井市に仏教伝来の石碑があります。
しかし、平安時代以前は仏教は貴族だけ。
一般の人はと言えば、文字が読めず山とか岩とか自然信仰。古くから日本にあったものです。
平安時代は延暦寺の最澄、高野山の空海とかの辺りです。聞いたことはあるかと思います。
国をうまく治めるのにはどうしたらええかなぁということで仏教が国家事業とされた時代です。
都をいろいろ変えたり、年号変えたりとそのへん見てたら必死さが分かりますね。
貴族のものだった仏教が庶民に広がる
そして平安が過ぎると鎌倉時代~江戸までは仏教を一般の人は有難いと拝む時代。
延暦寺で勉強していた法然、親鸞、日蓮などの僧が、貴族だけのものではあかん大衆にも広めようと流罪になったりするけどがんばるのです。
難しいお経より南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経を言えば救われるという信仰。こりゃ簡単だと、それで広がっていきます。
江戸時代は仏教の檀家制度が戸籍を管理する役目に使われる。
家康にすれば仏教は今の市役所区役所の位置付けみたいなもんです。
キリスト教もキリシタン大名というのも出てきますけど、出島で貿易だけ異国は利用し、キリストは禁教に。
信長、秀吉が延暦寺、本願寺、根来寺などと対決して、散々な目に遭わされたのを見て、家康以下徳川では徹底的に保護することで、仏教をコントロールしていきます。
儒学で社会秩序導入した江戸時代
一方、江戸になっても戦国の名残で、物騒な刀を振り回すをやめようと武士に広まったのが、陽明学とか儒学。
儒学は永らくは、寺院の書庫に知識として日本では存在していたのに過ぎなかったのですけど、秀吉の朝鮮出兵以後、捕虜にした朝鮮の高官と日本の知識人が意気投合。
その知識人の弟子が林羅山。
この一族は徳川家のブレーンとなり日本ではここで儒学にスポットライトが当たります。
余計な争いをしないように、長男が相続せよと家康が儒学に基づいて決めたのですけど、今でもそんな雰囲気残ってるのは、この辺りが影響してるのです。
要は秩序を維持するには格好の教えだったわけです。
以後300年儒学は日本人の生活に秩序として規律を広めていくのです。
天皇が復権し神道がベースの明治時代
そして、時は移り近代へ。
明治になって西洋に勝つには一丸とならねばならぬと仏教が弾圧されて、天皇崇拝の国家神道が国の方針とされます。
ちなみに明治政府の思想は江戸時代に幕末の志士が寺子屋や藩校で学んだ陽明学など儒学がベース。
そんな国家神道が大平洋戦争まで影響し、玉音放送に繋がります。
終戦でアメリカから思想は危険だから教えちゃいかんと言われて、思想について後手にまわっているのが今というわけなんです。
この流れを把握していないと、仏教って? 儒学って? 神道って?と混乱しちゃうのですね。