比叡山延暦寺ってとても広いのですけど、ご存知でしょうか?
私は、観光ガイドを時々やっていますが、案内していて思うのは、だいたい何も考えずに来られているということ。
勿体無いなぁと思うのです。
比叡山にはいくつかの拠点があるのですが、今回はそのうちの横川(よかわ)について、ご紹介したいと思います。
横川(よかわ)基本情報
公式ホームページより引用
横川は本堂にあたる横川中堂を中心とする区域。
西塔から北へ4キロメートルほどのところにあり、第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれました。
本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂。
他に往生要集著者の源信僧都が隠居していた恵心堂。
おみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)などがあります。
出発地は日吉大社
本来は、延暦寺より前から、山を信仰する文化があり、伝教大師も地元生まれで山を尊敬していた。
そして正面に見える、八王子山から、若き最澄は山に分け入ることになります。
右手に見えるのがかくれんぼ地蔵こと、早尾地蔵。
日吉大社の境内にあり、早尾神社もすぐそばにある。
何かの本で、比叡山の門番的な役割のお地蔵さんであったり、神社だったりするようです。
延暦寺の登り口。
昔の写真を見ると、とても綺麗に掃き清められた坂のようだったのですが、今は石段に。
この隣の高校に通っていたの、ここは部活でも体育でもよく走らされました。
その時は、石がゴロゴロした場所なのでした。
大宮川に沿った林道を進んで行きます。
ゲートがあって、延暦寺の敷地ですので、車の侵入はできません。
地元のものは、散歩に使う人もいたりします。
部活で走らされた道でもあるので、あまりいい思い出は僕にはありません。
比叡山は自然歩道も通っていて、トレイルランに使う人もいます。
この日は八月下旬の暑い日でしたので、水でクールダウンしたい気持ちはよくわかります。
昔からの遊び場でもあり、40年歩いてきました。
このルートは川沿いにありますので、水の音がしてとても心地よく感じられます。
ここは、川なのですが、大水が出たりすると土砂を押し流し、この谷に広がった地形。
遠足などで、人数がいる場合はここで休憩するというのが定番です。
サイトによると。。
私たちが毎日安心して水を使えたり、大雨や台風といった様々な災害から生命・財産が守られていることは、森林の働きによるところが大であるとともに、森林には、私たちを癒してくれ、快適な気持ちにさせてくれる働きなどもあります。このため、今後とも安全で住み良い国土を創造し、維持していくためには、森林の役割を欠くことは出来ません。
こうした、森林の役割を紹介し、理解を深めることなどのために、林野庁では、水を仲立ちとして森林と人との理想的な関係がつくられている等代表的な森について「水源の森百選」として選定することとし、平成6年12月から筒井東京大学名誉教授を座長とする。10名の学識者からなる委員会による検討を進め、平成7年7月にこれを取りまとめました。
選定された「水源の森」は、いずれも昔から水を得るために森林を守り、育て、また、水と一体になった森林空間の利用施設を整備するなど、森林所有者はもとより地域住民の努力のもとに維持されてきた森林です。
世界の中でも自然豊かな日本。
いつまでも大事にしたいものです。
久しぶりに昔のジュースを開けるときについていたもの。
指を切る人もいましたね。
分離すれば、飛ばすこともできた。
実際使った世代からすれば、見ればわかりますけど、100年後にここを歩いた人は、どう思うのでしょう。
2時間はかかりません。
走れば1時間もかかりません。
部活では走ってました。
ハイキングにはちょうどいい距離です。
参拝される方は、拝観券が必要です。
延暦寺の中でも、観光の人は根本中堂のある地域を参拝されますが、個人的には静かなこちらのお堂群が大好きです。
ここはそうだ京都行こうのCMのロケ地でもあります。
比叡山で大師といえば元三大師。
道端の石仏がシブい。
味があります。
元三大師廟です。延暦寺の魔所の一つ。
元三大師と言えば、「降魔大師」と呼ばれ、凄まじい法力の持ち主で、魔と対峙する時には自分の姿も魔物に変じたと云います。
疫病で苦しむ人々を憂いた時、その身を「角大師」と呼ばれる異形に変じました。
その姿に病魔も恐れて逃げ出したのだとか。
そしてお堂。
慈恵大師の住居跡といわれる場所。
967(康保4)年、村上天皇の勅命で、春夏秋冬それぞれの季節に法華経が論議されたことから四季講堂という名が付いています。
現在は、元三大師を本尊としているので「横川のお大師さん」とも呼ばれています。
現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、四季講堂(元三大師堂)は、「おみくじ発祥の地」と喧伝(けんでん)されています。
それでは、この良源について少し詳しく書いてみようと思います。
このかたは、比叡山が荒廃していたのを復興させた人で、延暦寺の絶頂期を築いたカリスマ的な霊能者と言われています。
たとえば、行事が行われる当日に門が倒れるイメージをつかんだ良源は、その行事を延期させます。
すると、実際に、門が倒壊。これはということで、最澄の再来と言われたそうです。
そして、悪魔に取り憑かれたところ、自らも悪魔になり追い払う。その姿が下の写真の角大師。
これは今でも魔除けとして、信者の家々の門前には貼られているものです。
ここのおみくじはいきなり行ってもできませんので注意。
予約して行きます。
行った時は改修中でした。
九月三日は元三慈恵大師御誕生会なので、その準備かもしれません。
一番最初に見た日吉大社は廃仏毀釈の最初の標的になって、神社と寺が分離されましたが、比叡山の山の中は、分離が緩かったようで色々とかつての仏教と神道の関係を観れるのが面白いです。
比叡山三弁天のひとつ。
元三大師良源が千僧供養を行い、その時に使った箸を埋めて弁財天を祀ったのが始まり。
いつも思うのは、昔は僧兵とかうようよいて、一般の人は上がってこれなかったでしょうし、山の上はどのようなものだったのか興味があります。
ワタクシも比叡山の学生時代にお世話になった研修道場。
お坊さんの研修から企業の研修までやられているみたいです。
ご興味のある方はお調べください。
続いて、比叡山は天台宗ですが日蓮宗の施設があります。
公式ホームページによると
日蓮聖人は、この地で「法華経」こそがお釈迦様の本懐であることを確信。
このことから、横川定光院は「法華経諦得の霊地」と呼ばれているそうです。
本堂の前には、新しいお社。
これはお尋ねしたところ、山王社。
つまり、比叡山の山の神。
また移動してきました。
続いては道元の得度地です。
臨済宗によるとこのように道元禅師のことを紹介しています。
永平寺の御開山道元禅師(どうげんぜんじ)さまは、鎌倉時代(一二〇〇年)に、京都でお生まれになりました。道元さまは、八歳の冬に母を亡くされ、その際の香の煙を観て、無常を観じ、出家を決意したといわれます。そして、十二歳の春に出家し比叡山にて修行をされ、沢山の経典を紐解き学ばれます。
12歳で比叡山に上がり、修行を始めたということです。
こんな幼い時からさぞ、心細かったことではないでしょうか?
承陽大師というのは道元のことです。
後ろの磨き上げられた石が、神社の鏡のようでもあり、神仏習合の面白いところでもあります。
そして見つけましたのが謎の器。
横川地区でかつて使われていたであろう器。
拍山製。
調べると九谷焼ぽい、今は使われていないそうで、現在調査中です。
ご存知の方は教えてください。
根本中堂にある鐘は一回50円だったと思いますが、こちらは無料。
心を込めてついてみましょう。
恵心堂は恵心僧都源信の旧跡。
現在は阿弥陀如来が安置された念仏三昧の道場となっています。
源信はこの恵心堂で浄土宗や浄土真宗などの源となる日本浄土教の基礎を築いたとされています。
恵心堂は現在も修行する道場となっていますので内部は非公開。
このように比叡山は次から次へとスーパースター級の人が次々おります。
何も知らなくても楽しめますが、仏教を学ぶととてもすごい場所なんだなと実感します。
このお坊さんは調べると、源信さんの弟子で密教をかなり頑張った方なんだそうです。
ご興味ある方は調べてみてください。
上には横川の歴代住職らのお墓が並んでいます。
それでは横川から離れて、行者も歩く道を通って山を下りましょう。
これは行者のわらじです。
鹿や猪やサルもいますので、気をつけましょう。
道も迷いやすいです。
そして1時間弱ぐらいでおりてきました。
ここは、最澄さんのお父さんが籠もった場所。
現在は日吉大社の奥総社として、中に社が入っています。
図の左上の丸の場所になります。
興味のある方はどうぞ。
日吉大社東本宮 山の神様。
ようやくおりてこれました。
見所満載の素晴らしいコース。
最後までお読みいただきありがとうございます。
思ったこと、感じたことあればコメントください。
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