山城国一之宮 賀茂別雷神社 (上賀茂神社)初詣 神主さん達の住む町も見てきました

書いているのは一月の末なのですが、いくつかいった初詣の神社の一つ上賀茂神社です。

去年は50とか60もの神社をまわりました。

どうしてかというと、やってみたかったからなのです。

私たちは、不要なものはすぐに捨てたりしますが、大事なものは残します。

そこで、いつも何気なしにある神社を徹底的に見てみようと思ったのです。

それで、行くと気分はいいし、ラッキーが来そうな気もする。

よくよく考えるとお正月行くだけでなく、普段から行ってみたら、気持ち的にすごくいい。

そんなことから今年も足しげく通っています。

今回は、京都市の上賀茂神社。

その昔、平安京が京都にできる前からあります。賀茂族という豪族の縄張りで、そのまもり神だったと聞いています。

そう考えると、僕の頭は平安京遷都前の荒涼とした京都の風景が浮かんできて、そこに必死に生きる人々の姿も同時にイメージされてきます。

 

 

なかなか、お正月に京都にこれるという人もいないでしょう。

京都滋賀という、文化的にもセットで暮らしてきたので、なんとも思いませんでしたが、今はとてもありがたいと感じています。

 

 

石はそれこそ悠久の歴史を見てきたのだなぁって思います。

そう見ると、人の一生ってあっという間です。

 

テレビの仕事をしていた僕は、日本中を巡っていたので、時間があればその名勝とされる寺や神社を訪れていた。

今考えると京都や奈良、滋賀の神社や寺はデカイ。敷地が広い。

京都スタイルを基準としてきたので何も感じてませんでした。

 

いつもは、順序どおりの参拝だけなのですが、何度も来てると、周りも見てみようと境内に入らずに横道に逸れてみました。

今は、神社庁という組織もありますが、その昔は神職は世襲だったらしく、そういった人々が住んでいた町が今も残っています。

 

聞くところによれば、賀茂族のような豪族は大陸からの技術を持っていた人々。

石積みの技術で水の流れをコントロールできました。

その技術が、町を流れる水路から感じられる。

タイムスリップした感じになります。

 

門の前の門松や注連飾りを見て、人々が連綿と受け継いできたことを感じます。

人は寿命で死んでいきますが、人の存在は永遠であるかのよう。

 

 

上賀茂神社の正面から5分ぐらいにある御神木。

存在感が半端ないでしょ?

 

川の側にある社なのですが、いらっしゃるのは瀬織津姫さま。

この方は、癒しの神様なので大好きなんです。

 

 

いくつもまわっていると、この社は心地いいとか出てきます。

 

 

鴨と賀茂とかもつながり。こんなタイミング会えてありがとうって思います。

 

そして再び社に戻って見てみるとやっぱりスゴイ。

何かドーンと出てきそうです。

 

 

根っこもとても素晴らしく安定感抜群。

こんな風に俺もなりたいとじっと眺めてしまいます。

 

室町っていつだ?

徳川幕府が1600年だから、室町というと今から500年ほど前からあるのですね。

それより前も知りたいですよね。

 

 

そして、引き返して神社に戻ったら、神馬さんがいらっしゃいました。

大抵神馬さんは、ハリボテだったりするのですが、本物のお馬さんありがたいです。

 

昔は、こうやってものができたことへの喜びを神様に感謝していたのでしょうね。

神様に捧げ、お下がりをいただく。

そんなものだったら残したらバチが当たります。

 

 

そして本殿。右手の赤いのは守護矢。どデカイ!圧倒されます。

なんで矢なんだろうかと聞いてみると、昔から戦でもなんでも最初に矢を交えることが縁起がいいとされていたからだとか。

本殿上の宝船もここの独自のものなので、年間通じてはありませんので、見れた方はラッキーです。

 

 

伊勢神宮に行けなくても、ここで参拝できるから助かります。

日本の総氏神天照大神。

気持ちのものですが、拝んでおくとホッとします。

 

 

 

 

もうすぐ節分。それに合わせてまた訪れようかと思っています。