大津逢坂山 芸能の神様 関蝉丸神社

地元大津の神社紹介。

かつて日本三大関所の一つとされた逢坂山の関。

そこに鎮座している関蝉丸神社を紹介させていただきます。

関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社と蝉丸神社と三社あり、相関連しているのだそうです。

早速ご紹介しましょう。

関蝉丸神社 上社 基本情報

神社名関蝉丸神社
御祭神猿田彦命
創祀822年
住所滋賀県大津市逢坂一丁目 20
ウエブサイトhttp://semimaru.ehoh.net/index.html(リニューアル予定)

アクセスは、京阪電車の大谷駅下車15分程度。国道沿いを歩いて、大津市内までハイキングするとすべての蝉丸神社に参拝できます。駐車場はありません。

関蝉丸神社 上社 御由緒

公式HPから

関蝉丸神社は、歌舞音曲・芸能の祖神として崇められ、盲目だった蝉丸が開眼する逸話にちなみ、眼病に霊験あらたかで、髢(かもじ〈髪の毛のこと〉)の祖神ともいわれている。

その人物像は不詳であるが、醍醐天皇の第四皇子、あるいは宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色などとも伝えられ、琵琶の名器・無明を愛用していたといわれている。

生没年も不詳ながら、旧暦の五月二十四日は「蝉丸忌」とされている。

また、下社の祭神・豊玉姫命は、福を招き出世を約束する女神で、縁結び・安産・子孫繁栄の神として敬われている。

なお、海神の娘である豊玉姫命は水霊信仰とも深く関係している。

 社記によると、当社の創祀は、嵯峨天皇の弘仁十三年(八二二)と伝えられている。

小野岑守が旅人の守護神である猿田彦命を山上の上社に、豊玉姫命を麓の下社にお祀りしたのが始まりとされている。

鎮座する逢坂山は京都と滋賀の境に当り、琵琶湖と京都・畿内を結ぶ交通の要所として栄えていた。

この立地から、国境神・坂神・手向神(道祖神)、さらに逢坂の関の守護神としても崇敬されていた。

また、京の都に悪病が流行らないように疫神祭が斎行されていたという。

貞観十七年(八七六)には従五位下の神階が授けられ、六国史に記載がある国史見在社である。


 平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された。合祀は天慶九年(九四六)とも平安時代末ともいわれている。

その後、蝉丸伝承は時代と共に全国各地へ広まり、天禄二年(九七一)に綸旨が下賜されると、歌舞音曲の神として信仰されるようになり、次第に音曲を始めとする諸芸に関係する人々の信仰が厚くなった。


 江戸時代には諸国の説教者(雑芸人)を統轄し、免許を受ける人々が全国的規模で増加した。昭和五年(一九三〇)には郷社に列格した。

 蝉丸に関する様々な伝承は『平家物語』などの文献に登場する。

和歌・管弦の名手であった鴨長明の『無名抄』にも当社に関する記述が見られる。また、『今昔物語』巻第二四第二三話には管弦の名人であった源博雅が、逢坂の関に蝉丸という琵琶の名手が住むとの噂を聞き、当時蝉丸だけが伝えていた「流泉」「啄木」という秘曲の伝授を乞うため逢坂山に通い、三年の月日が流れた八月十五日、ようやく秘曲を聞くことができたという逸話は有名である。


蝉丸といえば、『小倉百人一首』のカルタに描かれる坊主姿が有名である。

逢坂の庵より往来の人を見て「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも 逢坂の関」という和歌を詠んだ(百人一首では 「行くも帰るも分かれては」 となっている)。

蝉丸の和歌は、上記のものが『後撰和歌集』に収録されているほか、『新古今和歌集』『続古今和歌集』に収録されている三首を含め、計四首が勅撰和歌集に採録されている。


能の『蝉丸』(四番目物の狂女物)という曲や近松門左衛門作の人形浄瑠璃の『蝉丸』も有名である。

関蝉丸神社 上社 当日の様子

やってまいりました関蝉丸神社 上社でございます。

京都から近江に抜ける道。

かつては旅人が行き交った道です。

これが昔の様子です。

このまんま残っています。

関というのがすごい字になってますね。

関は上の字の略字なんだそうです。

すごいですねー。

天明8年の文字が見えます。

天明年間1781年から1789年、今から240年前に設置されたことがここからわかります。

どうやって削ったのでしょうね?

気の遠くなる作業。

本当にすごいと思いますね。

昔は単に山だったのでしょうね。

想像するのが大好きです。

百人一首に出てくるこの人だそうです。

琵琶法師の元祖。

それで芸能の神さま。

いい感じで石の角がとれてます。

手入れがされていて、良い気を感じます。

清少納言

蝉丸

三条右大臣

当時のやんごとなき方々は、琵琶湖にしばしば出てこられて、遊ばれていたとか。

拝殿を越えてきました。

蝉丸大明神の文字、ずっとこれできたのでしょうね。

本殿の脇には別の社があったようですね。

上は山崩れか、何かで潰されたのでしょう。

本殿内部。

神社と寺の融合のようなタイプでした。

下に行くと国道ですが、不思議とここに立つと、静かな感じがいたします。

こちらから下れば、関蝉丸神社。

気をつけてお歩きになって、参拝をお楽しみください。

最後までご覧いただきありがとうございます。

近くに有名な鰻やさんもありますよ